わたしにとって作家・三島由紀夫はリバイバル上映で観た映画「黒蜥蜴」での演技の印象が強すぎる人です。小説は20代でいくつか読んだのですが、話を覚えているのは「永すぎた春」のみで、映画の印象がすべてを上書きするインパクトでした。
30代になってヨガインストラクターをするようになってから、ハードなヨガに猛烈にハマっていく男性を見て「三島由紀夫みたい」と思う、そんな比喩の対象にもなっていた時期がありました。実際に「黒蜥蜴」での三島由紀夫のような目つきの人にたくさん会ったのです。
そのあと、横尾忠則 著「インドへ」にあるエピソードを読んで、少しイメージが変わりました。いつかまたこの作家の小説を読むことがあるかもしれないと思いました。そして昨年2017年に「音楽」を読みました。ものすごいおもしろさでした。そのあと「命売ります」を読みました。これまたものすごいおもしろさでした。イメージが以下のように刷新されました。
精密なマーケティング・センスを持った、サービス精神旺盛な人
「音楽」は婦人公論での連載で、「命売ります」はプレイボーイでの連載。各誌の設定するターゲットに対する「こういうのが、気分だろう」という提案をものすごく上手にやっているのです。名プロデューサー感がある。ありすぎる。
作家としては、こんな人であったようです。「第五章 公然と非公然の谷間」という章に、こんな内容がありました。
三島は、財政面の内容をくわしく話さなかったが、これだけの資金を生みだすためには、どんな雑文でも引き受けたのだろう。こういう雑文は、作家によっては手抜きをするか、適当にお茶をにごすかしても不思議はないのに、三島は、どのエッセイにも軽論文にも己れの真剣な感情をわずかではあるが含ませるサービスをしている。そのきまじめさこそ、三島の性格の一端をあらわしている。
(265ページ)
小説から想像したイメージの通りでした。
曇りの日にも日光浴をする姿に、楯の会の会員(大学生)が話しかけたときの回答と印象の記述も興味深いです。
「先生、曇りの日には日光浴をしても意味がないじゃありませんか」
あるとき楯の会の会員が、三島にたずねたことがある。
「そうじゃない。俺は意志が弱いから、一日でも休めば、つぎつぎに理由をつくってやめてしまうにきまっているんだ。それを防ぐには、少々の雨でも、こうしてベランダにでることにしているんだ」
その会員は、このときの三島のしんみりした口ぶりを忘れていない。生来の気質を自らの意志によってコントロールしようとするタイプにみえたといっている。
(270ページ)
もともとこういう気質ゆえに早く成功したのだと思うのですが、その成功の度合いやどのくらい有名な作家だったかというのは、昔の人なのでぴんときません。
ですが、いま自分がこの事件当時の三島由紀夫と近い世代になってこの本を読むと、なるほどと思うところがあります。
四十五歳という年齢では、多くの者は煩瑣な日常にからめとられた生活者であり、己の生き方のディレンマに気づきはしないし、たとえ気づいても、日常の中に埋没させてしまう。しかし、三島にはそれができない。もし三島が、才能もない平均的な作家であったなら、日常そのものの愚にもつかぬ悩みの中で執筆活動をつづけたであろう。しかし、三島はあまりにも早くすべてのものを手にいれてしまっている。一切の日常から解放され、三島は三島自身で生きてゆくことのできる人であるがゆえに、己の地肌に潜んでいる気質のままに現実の社会に身を置くことができた。
その気質とは、<死>への親近感である。現実に絶望することは、その気質の浮上を意味する。
(252ページ)
死の2年前に書かれた「命売ります」は死への親近感を風刺したような小説に思えたのだけど、親近感そのものは親近感としてあったのでしょう。
わたしにとってこの本は、自分が世に生まれる前に親同士が恋愛をしていた時代はこういうムードであったのか、という気運をうかがい知る材料にもなりました。楯の会の主要メンバーは当時東京で暮らす大学生であった親と同級生。同じ土地で同じ時代の空気を吸っていながら、なぜこんなにも意識が違うのかと驚きつつ、西洋文化に憧れ消費を謳歌した人が大多数であったからこそ、生まれた組織でもあったのだろうと想像しながら読みました。
その思想については、うなずく部分もありつつ、日本の美徳・美学というのをこういうエネルギーに結びつけるのは不思議であるという、両方の感想を持ちました。
わたしはこの本で初めて「ティーチイン」という言葉を知りました。大学で行われる討論集会のこと。そこでの言葉もいくつか収録されているのですが、「複雑な意味あいをもったティーチインであった」と結ばれている、一橋大学での学生との討論の内容が紹介されています。ひとりの学生が「いかなる暗殺も是認されるべきではない」と説き、それに対しての三島由紀夫の長い回答が以下。
暗殺の問題から、人を殺すか殺さないかという問題がいつもあなた方の頭の中で一緒くたになっている。そして暗殺というと熱狂的に否定して、すぐそれが人を殺しちゃいけないというふうになる。その考えの根底は。戦後のいわゆる人間主義の教育から来ていると私には思われる。つまり殺人という問題を客観的に扱うことができない。すぐそれが、とにかく人を殺すことはいけないのだというふうにいっちゃう。
ですから、殺すことがいけないのだということは、一つの判断であり、一つの立場なんで、あなたは人間性というものを直視していないのです。それと同時に民主主義というものを直視していない。つまり民主主義というものが相対的な政治形態であることがわからない。
あなたがどういう教育を受けてきたか知らないが、民主主義なんて甘いものじゃない。これをどうやって純粋民主主義に近づけるかなんて、いつまでたっても無駄なんだ。人間は汚れている。汚れている中で相対的にいいものをやろうというのが民主主義なんだ。この点をわかってほしいのです。
わたしはここ部分を読んで、2001年のアメリカ同時多発テロ事件のときに、一瞬「そらそんなことも、したくなるだろう」と思ったけれども、それは絶対に口にしてはいけないこのムードはどこから? と煩悶したときのことを思い出しました。以後、いろいろなことを考えました。まさにここにあるような言葉で、汚れている中で相対的にいいものをやろうということでビン・ラディンを殺害しますということなのか、世界規模になるとそういう民主主義になるのかと、ずっと不思議な感じがしている。
このような世界のなかで純粋性というものを少しでも信条の中に織り込もうとすれば、自分の実感として、神でも持ち出さない限りは無理ではないかと思うのです。その神が天皇であれキリストであれクリシュナであれシヴァであれ、人が聖なる存在を求めるときの気持ちには「恨まないための方法を求める」という、そういう面があるように思います。
自衛隊と憲法については、わざとあいまいなままのスタンスを引き延ばすのが日本様式。というのをこの年齢になって少しずつ理解しはじめたくらい、わたしはまだ社会オンチなところがあるのですが、50年近く前にはこの本にあるような議論があった。そりゃ、なきゃ変だよねと思いながら読みました。あいまいなスタンスを日本様式としたところまではわかるけれども、そこに様式美がない!と憤慨する三島由紀夫の気持ちも、なんだか少しわかる気がするのです。
わたしは普段は「"美学" という言葉を使えばなんでも尊重されると思うなよ」というような考え方もしたりするのですが、こうして細かくこの事件の様子を追っていくと、こういう拠り所の求め方もあるよな、と思う。楯の会のあの制服もこだわりのデザインで、西武百貨店の人が苦労した話が書かれていて興味深いのですが、そういうプロデュース全般に手を抜かない意志のあり方には、刺激を受ける部分が多かったです。こんなとき軽薄なフレーズしか思い浮かばないことが自分でも残念なのですが、「精神的おしゃれさん」だなと。
(余談)
少し期待していた三島由紀夫のインド経験のエピソードは、思っていたのとは違う情報を得ることで、違う意味合いをもちました。1967年の三島由紀夫インド訪問はインド政府の招きにより、夫婦で行ったのだそう。「インドに行ける時期はカルマが決める」ってフレーズだけがひとり歩きしている感がありますが、成功者がインド政府に招待されるというのは立派な実績カルマ。そこは神秘化するところではないのでは? と思いました。