うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記 松本麗華 著

父娘であり、グルと信者であるという関係で13歳まで過ごし、その後むずかしい社会環境の中で生きてきた人の手記。身近な人を信じられない暮らしは、どんな鎧を着ても足りない。そういう気持ちになることがよくわかって、苦しい。
通して読んでみたら驚くほど「父愛し・母憎し」の感情が明確で、もしかしたらこの家族は宗教名で呼び合うことで関係をあいまいにし、感じたことに向き合うことを避けたかったのではないかと思うほど。こういうことって、誰も教祖にならなければ一般的というだけで、案外多くの家庭にある要素ではないかと思いながら読みました。


61ページの「母への矛盾する思い」という章に、こんな記述があります。

何かの話の流れで、父が母に、
「アーチャリーは屈折しているだけで、ヤソーダラーに愛されたいと思っているんだぞ、ちゃんと応えてあげたらどうだ?」
 と言いました。
 わたしは、三歳のころに家出し、それ以降「母」には期待せず、自立したと思って強がってはいたものの、母に受け入れられたいという気持ちを父に見透かされたように感じました。

そんな話こそ子供(本人)の居ないところで夫婦でするのが適切ではないか。
本の中ではこのときの母の対応から、「母憎し」のトーンで語られますが、憎しみの矛先が父か母かの二択になっていて、「親」のまとまりになっていません。でもこういう方法で子供に親の印象をインプットする養育場面って、多くないだろうか。子供のためというムードづくりだけで、養育する意志がない。家族も教団も会社も、組織ならこうなりうるという現象の実例として、「ああ、なんかそういうことって、あるよなぁ」と思う。
著者は「父の神通力」のようなトーンで語っているけど、本人の前でこんな会話を切り出すことに、養育に責任をとる意志がないことが透けて見える。



少しヨガや仏教に近い始点で見ると、この本の中で語られる特異なカタカナ語に添えられる(パーリ語で○○という意味をあらわす)(サンスクリット語で○○という意味をあらわす)などの要素の散漫さ、用語の常用トーンから、独自の筋のないミックス・カルチャー宗教であったことがよくわかります。
「より刺さるように」と、ポリシーを固める前に適応しちゃった企業の宗教版のよう。現象としては「あるある」の範囲で、この現象を恥として罰する文化の中で抑止できなかった特異な例と捉えるか、「あるある」なので今後もいつかまたこういうのが出るかもと捉えるか。
前者であると思いたいがそれは幻想で、後者だよねと考えるのが人間的ということなのだろうけど、たぶん多くは前者。著者はそれを見越した上で書かれているように見えます。
オウム真理教があとに引けない感じになっていたのはかなり早い段階で、テレビでその存在を知るようになった頃には、もうどうしようもない、自動詞も他動詞も区別なく暴走している状態であったことがよくわかる。それをよく伝えている手記です。

 オウムでは何でも自前でおこなうことをよしとし、思念は現実化するという教えを背景に、経験がなくても智慧を使えば実現できると考えました。そのため、外部の経験豊かな人のアドバイスを求めることなく、サマナだけでものごとを実現しました。社会経験豊かな人がいれば、宗教的な価値観を社会と融和する形で実現する方法を検討することもできたはずですが、いかんせん上層部を含めてそのような経験が少ない人たちばかりでした。
(53ページ オウムと社会の乖離 より)

のちに、268ページでもう一度「物事に責任を取ることに慣れていない人たちが多かったからこそ、社会からのバッシングを受けたりハルマゲドンなどの終末思想は広がる中で、より教団を先鋭化させ、社会性を見失っていったのではないか」とも書かれています。



 父は自分が達成した「解脱」が、当初は弟子の誰もが達成できるものと信じていましたが、実際に指導してみると、思い通りの結果を出す者がおらず、だんだんあきらめていったのではないかという印象が、現在のわたしにはあります。
 解脱者がどんどん多くなって世界宗教となり、救済ができると真剣に考えていたのに、弟子の修行が思ったように進まず、人間はなかなか救われないという認識に変わっていったのではないかと。
(64ページ 父の死への志向 より)

ここは「現在のわたし」の理解を明確に示していて興味深いです。地道に自己認識を深められたのでしょう。



 魂は死(その生の終わり)を迎えると、バルド(仏教では、死んだ後、次に生まれかわるまでには最長四九日あると言われています。その生まれかわるまでの期間をオウムではチベット仏教で使われる「バルド」という言葉で表しました)に入り、このバルドにおいて魂の次の転生先が決まるそうです。教団内で、父はバルドにおいて道案内ができる存在と位置づけられていました。そのため、父がいれば来世も大丈夫だと、多くの人が考えていました。

オウム真理教には、ホーリーネームに「ミラレパ」という人もいたけれど、ああいう物語にどんな気持ちで陶酔したのだろう。



 わたしは今になって思います。帰依や神格化は、「尊師ならすべてわかってくれる」「何をしても尊師はご存知だ」「尊師がとがめないから、尊師に許されている」という、自分の行動の責任を父に押しつけるための、免罪符だったのではないかと。神に人権はなく、どんなことをしても、それを許容することのみを求められます。
(260ページ 奪われた傍聴 より)

ここのカッコが3つ並ぶ(わかってくれる→説明しなくてもいい→許されている)思考の塗り替えプロセスがとてもリアル。

わたしはオウム真理教の事件が起きたころは田舎や地方都市で学生をしていて、身近な人がそんなにこの事件についてキリキリしていた記憶がありません。「都会ではこんなことが起きているんだなぁ」という感じでした。30歳を過ぎて集団心理やグルを求める心理みたいなものを身近に感じるようになってから(=ヨガ教室に通うようになってから)のほうが、本もニュースも気になるようになりました。その心情がリアルに迫ってこないと、自分を重ねられない。
この本には「肉食しないでグルテンでやってたんだなぁ」とか、「道場生活」「教団組織」の要素が生活記録のように出てくるのも興味深いです。
こういう帰属欲求を満たしてくれるものって、ニーズ自体はずっとなくなっていない。なので、そんなに遠いことに感じませんでした。



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