ヨガをしている人の動きに見える要素が個々に違っていたり、変化し続けるのを見るのはまるで自分のことのよう。ワクワク・ドキドキ・シリアス・ニヤニヤ。それぞれの意識にグラデーションがあって、もちろん表面上はみんなふつう。
わたしはマットを広げるときにワクワクする前提の人と会うことを年々重視するようになっています。年末年始の旅行でこの思いを整理するきっかけを得ました。
自分で決めて行動する人と会えること。これは当たり前のようでいて、当たり前じゃない。本屋へ行けば、他人が決めてくれる本がたくさん並んでいます。主体的な行為の積み重ねが将来貴重な財産になることは引き寄せでも予言でもなく、数の原理としていまの流れが続いていけば明白なことであると日常レベルで感じます。
先日、関西でのヨガクラスのあとに「やっぱり逆立ちって楽しい」という声を聞き、わたしも「そうそう、その "やっぱり" という言葉が出てくるあなたと一緒に練習したかったの」という気持ちになりました。わたしも逆さまになるたびに "やっぱり" を感じているから。
"やっぱり" をネガティブな文脈で使うのではなく、ポジティブに使う。そのポジティブな用法の文脈の奥には、ひとりの時間に自身の空虚感・寂しみを認めるプロセスが含まれていたことをわたしは知っているから、その言葉がとてもうれしい。"自分に向き合う" とか "自分を見つめる" とか、ヨガの場面でよく耳にする便利なフレーズをわたしなりに経験から分解するなら、こんな感じです。