うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

アーユルヴェーディックな読書

会うといろいろな人にたくさん本を読んでいると言われるのですが、冬はお風呂の湯船の中でKindeを開いているので読書時間が増えます。夏は減ります。
「いろいろな本を読んでいる」とも言われます。これは、そうだろうと思います。時間によって分けていて、1日3モードあるので最低3冊は同時進行しています。この3モードはそのまんま、トリドーシャです。アーユルヴェーダという、身体を自然の創造物(物質体)ととらえて自然意識の優位性が入れ替わるリズムにあわせて生きていく、インドの考え方に沿っています。そのモードが3つあるのです。ヨガをやっていくと、どういうわけか自然にそういうふうになっていきます。


朝は外国語の本です。ここ2年は毎朝ずっと同じ一冊の本の訳に取り組んでいます。サンスクリット語と英語しか出てこない本です。脳内が日本語で思考を始める前に、この分解的読書を済ませてしまいます。ドーシャがヴァータの状態にあわせてそのようにしています。



平日の昼休みには、新書・技術書・ノウハウ本・自己啓発書・現代小説を読みます。職場に置いてある雑誌(「東洋経済」など)も読みます。昼のわたしは頭がぎらぎらしたおじさんモードなので、たまに紹介している「うわぉ意識高い系かよ」と思われるような本は、昼休みに読んでいる本です。ドーシャがピッタの状態にあわせてそのようにしています。



夜は昔の小説や現代小説でも重いテイストのもの、エゴをがっちり描いたものを読みます。家や食事処・飲み屋で(本を読んでいてもアリな感じのところへひとりで行きます)読みます。ドーシャがカファ(カパ)の状態にあわせてそのようにしています。



まる一日とくに人と会う用事のない日は、上記の昼と夜の内容の境界があまりない状態になります。いつも扱いが微妙だなと思うのが、外国語で書かれた小説を日本語訳で読む場合です。思考が日本語でない状態の人の日本語は夜に読むと疲れるので、昼に読むことが多いです。
わたしは文体が憑依しやすいので、昼間にクセのある文体のものを読んでしまうと、仕事で書く文章がおかしくなります。なので昼間は構造的に簡潔な文章やビジネス書、トーンが一般的なもの(うっかり憑依したのが漏れても大丈夫なもの)をなるべく読むようにしています。