うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

叙情と闘争 辻井喬+堤清二 回顧録  辻井喬 著

半分くらいまでなかなか読み進められませんでした。
とにかく思わせぶりな書き方で、有名人の名前がバンバン出てきます。著者の背景を知っていれば興味をそそられる書き方なのかもしれないけれど、それにしても、何だろうこの独特の読みにくさは。

 

著者は西武百貨店・パルコ・リブロなど、モノや文化のほうのセゾンの堤社長。(鉄道や土地のほうの堤社長とは異母兄弟)
衆議院議長をしていた父親の秘書を経て西武百貨店に入り、その後はわたしも知っている事業ばかりで、WAVEもロフトも無印良品セゾングループです。
そのかたが本人の筆で、こんな人だったの?! という面を綴っています。
読みながら付箋に書いたわたしのメモに、こんなことが書いてあります。

 


  自分がめんどくさい人間であることを
  自分の言葉で説明できる人は、おもしろい。

 


  脳内会議で盛り上がって構築した考えをもとに
  外で振舞って失敗した経験を
  さらっと差し込む文章がうまい。

 


  この人、自分の言葉・文章が大好きなんだな。

 

 

世の多くの "社長本" は口述をライターが文章にするか、ジャーナリストや編集者が個人を追って書く形で、第三者の視点がしっかり入っています。
ところがこの本は、社長本人が作家の顔を同時に持ち、作家側のペンネームで、しかも本人との関連付けを完全にオープンな形で内面を中心に書いている。


文体が独特で読みにくいと感じた理由は、「のことを知りたい人に開示して差し上げる」という著者の状況を理解するのに時間を要したからでした。前者の私が堤清二さんで、後者の私が辻井喬さん。ややこしい。
こういう設定をインターネットのない時代にやっていたのは、やることが早い! と感じます。

 

 

そしてこの本は、中盤の三島由紀夫とのエピソードから、おもしろさが加速します。
楯の会」の制服を当時西武百貨店に所属していた五十嵐九十九がデザインした話、三島由紀夫が自害した夜の平岡梓との話などは、ちょっと盛ってない? と思うような話の連続。
そして、影響を受けた側から語られる思い出話を引いた視点で読むと、三島由紀夫の人心掌握術の凄さに震え上がります。

(→あわせて読みたい

 

三島由紀夫について、著者はこのような見かたをしています。

 三島由紀夫が自らの生命を賭けて反対した思想の重要な側面は、この、手続きさえ合っていれば、その政策や行動の内容は問わないという、敗戦後のわが国の文化風土だったのではないか。
(『監獄ロック』より)

敗戦前って、そうじゃなかったの? 今はもう手続きすら隠蔽しちゃうくらいになっているから、この当時の怒りがものすごく純粋に感じられます。

 


40歳頃の自身を回想して、性格の根っこへの気づきを書いている部分も興味深い内省です。

 誰の場合でもそうだろうが、新しい発見は直ちにそれらのものの考え方の再点検へと僕を導いた。そうした動作のなかから浮かんできたのは、自分が差別に対して過敏で、目の前に差別している人間とされている人を見ると、じっとしていることができない、自分にはそうした性格があるという発見だった。僕の反体制的な感じ方は、社会主義の本を読んだからではなく、ドイツ観念論に培われたのでもなく、この咄嗟の際の感受性によっているのではないか、その感じ方に理屈を与えようとして、社会主義を見付けたという順序で認識が動いていったらしいと僕は自分を分析した。
 妹のことを大事に思う背景には、彼女が女性であるために、いつも家の中で不利な立場に置かれていて、それを僕は庇うことができなっかったという実感に裏打ちされていたようだ。
(『流浪の人』より)

"敏感" ではなく "過敏" という強度の言葉を選んでいる点と、理由なんて後付けなのだという前提に立った内省に息を呑みました。

 


歴代の首相や政治家の名前も多く登場します。
わたしは宮澤喜一元首相や土井たか子委員長の名前が出てきたあたりから、やっと喋り方まで知っている人物が出てきたわ、という感じでした。
ほかにもこの本はおもしろ情報がてんこ盛で、歴史・文化・ビジネスを掛け合わせて勉強になるトピックだらけです。


なかでも特に、「魯迅」「新人会」「ピーター・ドラッカー」についての話がおもしろかったので、その3つについて書きます。

 

魯迅

1976年に西武美術館で開催された「魯迅展:逝世40年記念/偉大な魂の軌跡」にまつわるエピソードを興味深く読みました。
著者はこのように振り返っています。

 後になって考えてみると、魯迅の再発見が中国に対する僕の関心を強いものにしたようである。
彼が見ていた、アジア的風土に生きる者の闇は、人間の一番深いところに蠢いている業のようなものだ。それは日本にいて、つい西欧的な分析で世の中のことを片付けている僕に、強く反省を迫るようであった。
(『「魯迅展」と四人組』より)

わたしは昨年、魯迅の『狂人日記』を読んで、それが初めての魯迅体験でした。その狂いかたへの親近感からものすごく複雑な感情を抱いて、これはどういう感覚だろうと思っていたのですが、まさに、こういうことなんです。

 


その魯迅展のエピソードに当時の中国の生々しいエピソードが絡んでくる以下は、わたしが生まれた時代の中国と日本の関係を伝えてくれるものでもあって、興味深く読みました。

 この展覧会は主に上海の魯迅記念館と交渉して進めたのだが、まだプロレタリア文化大革命運動の進行中であったために中国が何かにつけてマルクス主義毛沢東思想に結びつけて魯迅を説明しようとし、彼の文学者としての側面を削ろうとするので、何度も喧嘩腰の交渉をしなければならなかった。そうしてようやく開催できた展覧会が、あと一週間で閉幕という時になって、中国に政変が起こり、文革の中心にいた “四人組” が逮捕されたのである。展覧会のために日本に来ていた上海の副市長と他の一名は帰国すれば逮捕されるだろうという情報が僕の耳にも聴こえてきた。捕らえられればその文化大革命の運動のなかで数え切れないほどの人を殺しているから、死刑は免れないだろうと言う者もいた。
 僕は彼らが亡命をするのではないかと思ったが、日本側ではただ見守っているしかなかった。そうして、その予想どおり彼らは上海の空港で逮捕された。その後の消息を僕は知らない。
(『実業家と作家』より)

文化大革命って、そんなに昔じゃないんですよね。いや、昔か。自分が歳をとっている。
この頃の西武美術館の展示は、どれもおもしろそうなものばかりです。
1988年にタゴール展をやっています。
参考リンク(西武美術館の展示リスト)

 

 

新人会

この本には巻末に登場人物の紹介リストがあって、三島由紀夫のように自分で命を絶った人や急な病気で亡くなった宮本百合子のような人物以外は、とくに経営者の方々は長生きをされています。


以下に出てくる「彼」は、渥美俊一という人物で、もともと読売新聞で商店経営の分析をしていた記者なのですが、その方の書かれた本からの引用を読むと、日本テレビ読売新聞グループの源流がわかります。

 最近出版された彼の『流通革命の真実』によると、日本マクドナルドの創業者藤田田(でん)と彼は東大法学部の同期、同年齢で、二人ともその頃の学生の政治結社「新人会」で学生運動をしていたらしい。その組織の長は現・読売新聞グループ本社会長の渡邉恒雄で、
「その右腕が氏家齊一郎氏〔現・日本テレビ放送局議長〕で、私は作戦・情報担当、藤田は学生動員リーダーをしていました」
 ということだったらしい。
(『企業再建』より)

流通革命の真実』は2007年に出版されています。
日本の流通経済史を追いかけるのに、この本は学びの要素が盛りだくさんです。

 

 

ピーター・ドラッカー

わたしたちの世代からさらに下の世代にとって、ピーター・ドラッカーはもはやブランドのような存在ですが、著者は座談会やシンポジウムで顔を合わせることがあったそうです。
そのドラッカーについて、自身が書いた過去のエッセイの内容を自分で振り返り、当時の気持ちを回想されています。

こんなことを書いていたんですって。

日本人の場合は、アメリカなどで唱えられているような、明るくてヒューマンな新しい経営者にはなかなかなれないのだ
(『経営者の孤独について』より)

ドラッカーの説に触れて経営者であることの後ろめたさを感じ、嫌なところを刺激された苦しさ、僻みを含むの複雑な気持ちが赤裸々に綴られています。「ドラッカーの主張はバラ色の夢を描く睡眠剤である」とまで自分で書いていたと。
60年代前半の自分の心理について、このような振り返りをされています。
これをいまできる巨大企業経営者って、いるかしら。

自分個人は明るい前向きな人間だという姿勢を示す人はいるけど、このレベルの内省をリアルタイムで自分の言葉でやっている人がいるかというと、パッと思い浮かびません。

 


こんなにも内省的な経営者の回顧録を読んだのは初めてです。
自分のなかにある正義感の性質を掘り下げていくやり方には独特のズルさがあって、そのズルさがマーケティング・センスでもある。この感じがが高度成長期に当たったというのもよくわかる。

わたしはこれからの時代を狂わずに生き抜くのに、グローバルに対するコンプレックスを個人が掘り下げておくことが必要不可欠じゃないかと思い始めています。

なのでその個人の事例として、興味深く読みました。