うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

文章の話 里見弴 著

古本屋でたまたま見つけて買って読んだのですが、これは永久保存版のヨガ本と思う内容でした。
わたしはヨガクラスの冒頭でたまに「意識」の話をするのですが、ベースはインド人の先生による英語での授業。まだまだ自分の中でうまく日本語に落とし込めていないものがたくさんあって、悶絶しながらもう10年近くになっています。

 

それは英語だと awareness, i-ness, will power, doership (do-er-ship)などの言葉で説明されるもので、ボロボロのノートを10年近く見直し続けています。
そして意識は言葉になり、言葉は意識になる。頭の中でも人間は言葉を使って思考をすることがある。意識と言葉、どちらが先でもどちらかを誘導する。それがどういうことか。
その説明が、なんとこの本では実現されていました。しかも、子供向けの授業の体裁で。

 

この本は昭和12年に全16巻が刊行された『日本少国民文庫』のひとつで、いま知られているものでは、ほかに「君たちはどう生きるか」(山本有三吉野源三郎 著)があります。そのシリーズの中で、里見弴という作家が「文章の話」という講義をしている。

 

この時代から文章についての本はたくさん出ていて、わたしは過去に谷崎潤一郎の「文章読本」三島由紀夫の「文章読本」を読んだことがありますが、この「文章の話」はおもしろい国語の先生が話してくれた授業の書き起こしのよう。ゆかいな喩え話から自我への向き合い方の指南へいつの間にか移行している。


この感じこそがまさに、わたしがインドで受けてきた授業の話の展開のさせ方! 日本語ネイティブが無理してインドへ行ったって、ほとんどは雰囲気で終わりです。だったら最初からこの本を読めばいい。そのくらいの再現度。

日本語の通訳がついてしまったら、もうその時点でそうではなくなってしまう。そういう教えがこの本では最初から日本語で展開されていて、生きているうちにこの本に出会えてよかったと嬉しくなりました。来世も日本語を母国語として生まれるとは限りませんからね。というかそもそも、言語を扱う生き物に生まれるかもわからない。

話が逸れましたが、この本はそのくらい、わたしが受けてきたインドでの授業の構成と似ています。
なんでそう感じたか、それはこの本の章立てを紹介するだけで半分くらいは伝わるでしょう。

 

 第一章 文章と言葉
 第二章 言葉と思想
 第三章 自と他
 第四章 自他と意思
 第五章 内容と表現
 第六章 表現の諸問題
 第七章 本と末


内容や表現の前にある、第二章・第四章が特にしびれます。
文章を上手に書けるようになりたくてこの本を読む人は、そのすばらしい章で挫折しそうでもあります。

第二章の「五、言葉も人を使う」「六、自分で自分につくうそ」の流れが特に読みどころですが、この六、のところでは図解付きでこんな説明があります。

心理学でも「閾(しきい)」という言葉を用いて、意識の閾上、とか、閾下とか称えています。その「閾」からそとへ追い立てるということ、これを私は、対内的なうそとして、対外的のそれ以上に、恐れ、慎まなければならないものと思っています。

映画「アナと雪の女王」がヒットした際に、同時に「ありのまま」というフレーズが流行り、それに対してモヤモヤとした思いを抱えた人は、この本をすごく興味深く読めると思います。
対外的な虚栄心をみんなで渡る赤信号のように共有した上で「ありのまま」と言われたところで、そこには気持ち悪さしかない。そういうことを、この本の著者は少年少女にもわかるように語ります。

 


イプセンの “You must will the thing you will.” を「お前は、たいものをたいしなくてはいけない」(下線部分は本文では強調点)と訳して説明する第四章はこの本の最も濃いところ。
ここから、その前章までで語られる、よくない文章ができあがる病理を総括する流れになっていくのですが、もうこのへんまで読めれば、あなたへの里見先生によるカウンセリングはほぼうまく行くと考えて間違いないんじゃないかと思います。


わたしにとってはこの本一冊が、まるでセラピーでした。
パンデミックでインドへは行けなくなってしまったけれど、今年はわたしはもうこれでOK。
すばらしい講座を受けることができました。奇跡のような本です。

 

文章の話 (岩波文庫)

文章の話 (岩波文庫)

  • 作者:里見 トン
  • 発売日: 1993/01/18
  • メディア: 文庫