うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ジャッジメンタルを抑えるメンタルを育てるのはわたし

先日、わたしよりもちょっぴりヤングなヨガ仲間と話をしていたら、おもしろい言葉をくれました。「ジャッジメンタル」という言葉。
「なにそれ? そんな単語があるの?」と聞き返してみると、それは「批判的な」という意味の英語でした。
その人は「30代、40代女性あれこれ」を読んでくれたそうで、「読みましたよ」という話からの投球。


わたしは英語を知っているようで知らないので、「風紀委員の女子みたいなああいうの」と表現していたのですが、あっさり「Judgemental ですよね」と言われました。
一瞬、彼女の言っていることは語呂あわせみたいなものか? と思ったのですが(「かもめんたる」みたいなのかと…)、ちがった。英語にはこういう批判的なメンタルの状態を示す表現が、あるようなのです。



 決めつけたがり



とくに20代後半から30代後半の10年くらいはこの種のエネルギーの取り扱いがむずかしくて、30代後半くらいからわたしは疑問がちらつき始めたことを話したのだけど、たぶん疑問の色は人それぞれちがう。でもちがうことを前提に共通項を見いだせる話はあって、そういう話を彼女が「Judgemental ですね」とまとめてくれたのでした。
そしてその後、嫌でも自分の逃避ポイントを見たか見ないかで、のちに収まってくるものの存在を感じられるかどうかが変わってくるように思うことや、そこを見るのはしんどいよね…という話をしました。これはすごくしんどいことだから、誰にもはすすめられない。


でもわたしは同時代を生きる人のそういう場面に付き合えるようなら付き合おうという気持ちがどこかにあって、ここで文章を書いたり、ヨガの練習や読書会を通じて思いの交換をしています。やっていることは身体を使った練習でも、一緒に精神的なバンジージャンプをするようなことって、できないかな…と、いつも少しだけチャレンジングな要素を加えたクラスをやっています。



 決めつけたがり



これはもうなんにつけほんとうに、くせものです。
ちょっとうるさい飲み屋へ行けば、何歳になってもここに背を向けた人がたくさんいることがわかる。
意志や言葉というのは探すものではなくて、掘り当てるものなんだな…、なんてことを最近しみじみ思います。