うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

東南アジア式 「まあいっか」で楽に生きる本 野本響子 著

わたしは東京に住んでいるけれど、心の中では "インドの人から教わったあのマインドを大切に……" という気持ちで暮らしています。

 

このマインドは文章にするのがすごくむずかしいです。

言葉にしようとした途端に仮想クレームが脳内で何十個も同時に立ち上がり、考えること自体が面倒になります。

そう、むずかしいのではなく、面倒。

 

 

その問題がなんとこの本ではしっかり乗り越えられています。

わたしのボディはひとつしかないけれど、コピーロボットを千体作ってスタンディングオベーションしたい!!!  と思う内容でした。

 

 

 

 *  *  *

 

 

わたしは30代前半でひとつめのヨガのティーチャー・トレーニングを受け、インストラクターになりました。ふたつ目は、30代の後半です。

上から下から横から斜めから圏外からさまざまなご意見・ご指摘・ご指導を賜るなかで、当時から今につながる考えとして以下の2つがあります。

 

  1. すべてのジャンルはマニアが潰す
  2. わたしはあなたの代わりにトイレへ行くことができない

 

1は新日本プロレスのオーナーの言葉で、ヨガもそうだと思っています。

2はヨガの教えにあるフレーズを頼りに精神的な体幹力をオフにして寄りかかろうとしたり、自分の気持ちを軽くするために他人の悪口をわたしに代弁させようとする人への気持ち。

 

 

だいたいのグレー・ゾーンはこの2つの考えで処理できるので、ここにさえ気をつけていれば、ヨガはいつも楽しいものです。

わたしにはこういう、経験から編み出した考えのセットがいくつかあります。

 

 

 *  *  *

 

 

と、自分語りをしておいてから、ここからはあらためてこの本の素晴らしさについて書きます。

わたしはマレーシアへ2度行ったことがあります。

1度目はコタキナバル、2度目はクアラルンプール、イポー、コタ・バル、メルシンを旅しました。マレー系、中華系、インド系が大いに混在し、宗教を信仰する人の多いこの国から受ける刺激も、少し肌で感じてきました。

 

その上で、この本では最後のほうに以下を伝えているのが素晴らしいと思いました。

実は多くの国が「グローバルとローカルの二枚舌」を使い分けています。

マレーシアは、どこでも英語が通じ、外国人が働きやすい国ですが、一方で、宗教を中心とした「民族それぞれのコミュニティ」が健在です。

(おわりに より)

これはアジア旅行をするたびに思うことです。

マレーシアのほかにすごいと思うのがインドとインドネシアで、インドは「外国人の好むスピリチュアル」と「土着のスピリチュアル」が二枚舌で、前者は英語のコンテンツがしっかり用意されています。

インドネシアイスラーム人口が多く、秩序はローカル・ルールで回っていながら、経済発展につながるマインドのオープンさが格別です。笑顔や話しかけやすさの点で、巷の人々のコミュニケーション能力の高さがずば抜けています。

どうやってこんなにうまいこと合理的なイスラーム化を取り入れたのかと驚きます。

 

 

著者が自己開示をする以下の2行には、思わず笑ってしまいました。

 実は私も、マレーシアに来た当初は、東京に住んでいた頃と同様に年中怒っていました。マレーシア人たちから「アングリーバード」とあだ名をつけられたほどです。

(「どうにもならないこと」の当たり前 より)

アングリーバードはタイでもよく見かけた鳥のキャラクターで、眉の吊り上がったGu-Guガンモみたいな鳥です。(そもそもGu-Guガンモがわからなかったら、ごめんなさいヤング各位)

怒りをコントロールできない人が軽蔑される社会とアングリーバードがメジャーな理由が紐づくのだとしたら、この喩えはさらに深く感じられます。

 

 

断水や洪水もお笑いネタにするという話は、わたしが "インドの人から教わったあのマインドを大切に" という気持ちの根拠になるエピソードと同じでした。

わたしが通っていたインドのヨガの学校はガンジス川沿いにあって、洪水のたびに床上浸水し、近くの寺院のシヴァ神の像も川に流されていきます。

多くの外国人が洪水のニュースを見て心配するなか、わたしの先生は川を下っていくシヴァ神像の画像に「破壊は創造の始まりだからね〜」というコメントを添えて、鉄板ネタくらいのノリでSNSに投稿していました。

シヴァ神は破壊神なので "鉄板ネタ" なのです)

わたしはヨガそのものが気持ちいいだけでなく、こういうことも含めて "ああいうマインド" を教えてくれるところが好きです。

 

 

この本は、誤謬を見つけられるようになるクリティカル・シンキングと、ジャッジメンタルになることを悪徳とするマレーシア人の話が読みどころ。

わたしはこの二つが、この本の主張が際立つトピックとして最大のものと感じます。