うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

不動産管理会社がセルフネグレクト問題の対応をしていた

わたしは集合住宅に住んでいるのですが、同じ建物の中に、自宅のごみをどんどん通路に出してしまっている人がいます。不動産管理会社との攻防は、わたしの記憶では約一年。
管理会社の貼り紙の文章のトーン、貼り紙の位置のプッシュがどんどん強くなっていくなか、まったく動きがないいままの一年。ごみの一部にはハガキや封書がたくさん入った袋があり、スケスケのビニールからみえる文字列が個人情報の宝庫。アンタッチャブル感もある。
そしていよいよ貼り紙の内容が「○月○日になったら所有権を放棄したものとみなし、処分に必要となった実費を請求します」ということになり、期限がやってきました。


まったくもって、こういうめぐり合わせはどうしたものやら…
期限日の朝、いままさに片づけを始めようとしたその人に出くわしてしまいました。そのままあいさつをして出かけました。
帰ったときに、ごみはそのままでした。「やる気スイッチ」なんてないとはわかっているものの、まるでわたしがそのスイッチをうっかり押してオフにしてしまったような気分になりました。
すれ違えば挨拶をする人ばかりの明るい集合住宅なので、わたしもその人にあいさつをするのだけど、その日の朝は「こんにちはー」といったら「すみません」といわれました。そして、すぐに部屋に入ってしまいました。
そのあとさらに管理会社からプッシュがあったのか、2日間かけて片づけをされていました。


ひとは怠惰に陥る、というのはバガヴァッド・ギーターでも目にするところで、物質次元に堕ちるとか地獄に堕ちるとか書いてあります。ずいぶん言いかたがハッキリしている。そこまでハッキリ言われると、堕ちないようにがんばろうという気にもなったりする。これはギーターの教えのポジティブな面と思います。


それはそれとして、ここ数年ニュースなどで見る「孤独死」という言いかたがあって、あれは妙なもの。肉体は個別なので、いずれわたしも孤独死します。「セルフ・ネグレクト」と「孤独死」の二つのワードをくっつけて語ることは脚色。死ぬ直前の数日は、わたしも「セルフ・ネグレクト」してるんじゃないかな。なるべくそうならないようにがんばる所存ではあるけれど。


いま目にしているような問題は「生きながらにして死ねると思っているのかもしれないけれど、その肉体は、まだまだ心臓が止まらなそう」という状況がまさにそこにある、という日常。



 怠惰に陥る



瞬間レベルでいえば、これは一日に何回も何十回も、いや、もっとある。
でも、なんだかんだと活動して日常は回っている。ここでわたしをくい止めてくれているのは、どういうはたらきの、どんなものだろう。
これがブッディというものかしら。