わたしはスーリヤ・ナマスカーラ(太陽礼拝)をパン生地に喩えることがあるのですが、粉に水を加えて何度もグニュリ、グニュリとやっていくような、そういう過程が好きです。
朝起きぬけのわたしは、ガッチガチ。特に、膝の裏。そこに水を加えるように呼吸を入れて、出して、練って、練って、7回目くらいでやっと伸ばせてくる感じです。
なので、はじめてヨガをするのに「わたしは身体が硬いので…」なんてモジモジされると、「まだ水も加えていないしコネてもいないのだから、当たり前じゃわ!」とわたしの心のなかに住むパン屋のオッサンが叫ぶ。なんというか、ヨガのポーズ(アーサナ)は、呼吸を入れて、練っていくのですよ。
ちなみにわたしの朝は
このような具合。膝が伸びないものは、伸びない!
手を床につけて膝を曲げて、まずは背中側に呼吸が届くことを優先します。
7回くらいやると
生地が扱いやすく丸まってきたときのような感じで、ちょっとそれらしくなってくる。
ただこれ以上伸ばそうとすると、足の指が床をにぎるような挙動が発生してしまって、そこで背中がキュッと縮んでしまう。
ここまで少しずつ練って背中に空気を通そうとしてきたのに、体の前面でこらえるようになってしまって、まるでプールの飛び込み直前でしぶっているような状態になってしまいます。
ここはまだまだガマン。足の裏の "ぺったり感" を優先しています。そう、足の甲も中身も同時に練っているような感じです。
しだいに…
伸びてきた感がでてくる。
わたしは背骨の下のほうが伸びにくいので、こうなってからも、まだ課題があります。
── そしてここからは、細かい話になりますが…
わたしは少し、膝を過伸展しやすいところがあります。膝の裏がにょーんと伸びてしまう。
伸びにくい背骨の下のほうをがんばって伸ばそうとすると、すでに伸展しすぎ気味の膝が、さらに奥へ入ろうとしてしまいます。
左のわたしに赤線を入れてありますが、背骨を平らにしようとすると、すでにくるぶしよりも後ろにある腰の位置が、さらに後ろへ下がろうとするのです。
これを防ぎながら背骨を伸ばすのが、すごく、すごくむずかしい。何年もかかっています。
こういう「細かすぎて日常ではわからなかった身体の癖」が見えてきて、また観察して、また別のことが見えてきて、また観察する。この繰り返しが楽しいのです。
そして観察を続けながら、足の甲の中身がもっと繊細になってきたら、膝をこれ以上伸ばさずに背骨の下部も伸ばせるだろうという感覚がある。
こんなふうに、いっけん「すでにできていそうな形」のあとにも、お楽しみがいっぱい。お蕎麦を食べた後に、蕎麦湯を入れて飲む人みたいです。
世間ではパン教室が流行っているようですが、ヨガもねりねりねりねり、こねこねこねこね、楽しいよぉ〜。
太陽礼拝で生地ができあがったあとは、足首を太ももとおなかの間に挟んで焼いてみたり、両脚をチュロスみたいに組んで焼いてみたり、いろんなメニューができるようになります。
ヨガ楽しいぞぉ〜。