下世話なワイドショーのような情報を消費する自分をなじる自分がいる。そんなわたしでありたくないと思うわたしと、わたしはいつもいっしょに暮らしている。
下世話な興味を表明する自分をなじるもうひとりの自分は、まるで評論家のような姿勢。そんなおまえがいちばん下品だろと、いままさに五感を動かしながら情報を消費しているわたしからコケにされている。ダサい。
そんなふたりのわたしが、めずらしく意気投合している。「迷わず絶賛。この本は、おもしろい!」と。
2時間絶え間なくひとつの世界に縛りつけてくれて、さらに確認のためにもう2時間、縛りつけてくれた。必ず二度読むことになる。状況設定も狂気もその世代感も、そしてその世代の人がやりがちなSNSの長文の特性までもが、すべてが完璧に近い。
江戸川乱歩の「人間椅子」のような驚きと気持ち悪さを、「コンビニ人間」のように現代的に、かつSNSでのやりとりで見せるだなんて。すごい技じゃないかこれ。
ひとことで感想を言うなら
よくやった! 大女優!
と、こんなすがすがしい感想になる。
そして何より出だしがいい。3年前にPCに触れて、半年前にFacebookを始めた50代。ならばいきなりこういうことも、しちゃうか…、しちゃう人いるなー。いるよなー。いるいる。
という雰囲気からの滑り出しが、怖いくらいリアル。
たとえば、これ。
追伸
ところで、もしよろしければ、貴女のご住所を教えていただくことは可能でしょうか。もちろん手紙などは出したりしません。ただ、どこに住んでいらっしゃるのかくらいは知りたいなあという単純な気持ちです。
この「知りたいなあ」の「あ」を小文字にしないところに、異様なリアリティがある。こういう文字列、こういう質問のしかた、どこかで見たことある!
わたしは小説を読めるようになったのがここ数年のことなのだけど、こんなふうに「これは、いま読まなきゃいけないやつだ」と思ったのははじめて。
明治時代の夏目漱石の小説などは、当時の新聞に連載されていて、読んだ人たちは「あれ、読んだ?」とかなりの熱量で話題にしていたものと想像する。この小説は、読み終えたばかりの友人が「もうこれすぐに読んで欲しくて。で、そのあとのコメントがすごく聞きたい!」と手渡してきた。そして翌日に2回読んだ。その夜はメールの応酬になった。
そういう、物語を通じて「ちょっと、あれ、読んだ?」みたいなコミュニケーションが発生するというのは、エンタメ小説としてかなりの成功だと思う。
おもしろいです。
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