うちこのヨガ日記

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いやいやながら医者にされ モリエール 作 / 鈴木力衛 訳


モリエールの作品にはいくつか医者を揶揄する作品があるのですが、これはそのひとつ。
この物語は木こりが無理やり奥さんのはからいで医者の演技をすることになるコントなのだけど、医学や哲学の知識を食い散らかして庶民を言葉で煙にまく薄っぺらい権威主義者の様子がうまく描かれています。
なにがいいって、そのような揶揄されるべき対象(メイン・キャラクター)をいじる脇役の合いの手がいい。ほかの作品でもそうだけど、女中など身分が下の人たちが、権威者の愚を引き出すのにうまいことを言う。
以下の場面も、患者の父親・ジェロントのセリフが単調ゆえに次の展開へ進まざるを得ない押し出しかたをする。
スナガレルは主人公の偽医者。

(口を利かなくなったジェロントの娘を診断した後の場面)

スナガレル:われわれほどの名医ともなればたちどころに診断を下す。無学なやつらなら、途方にくれ、「ああだ、こうだ」といい加減なことを言ったにちがいない。だが、このわたしは、いきなり病状を見抜き、あなたに教えてあげる。娘さんは唖(おし)だ。
ジェロント:はい。でもどうしてそうなったか、お教えねがいたいもので。
スナガレル:それはぞうさもないことだ。口がきけなくなったからさ。
ジェロント:それはそうかもしれませんが、その原因は? どうして口がきけなくなったんでしょう?
スナガレル:一流の学者たちの一致した意見によれば、それは舌の運動の障害から起こる、ということになっておる。
ジェロント:もうひとつ先生にうかがいますが、舌の運動の障害についての先生のお考えは?
スナガレル:アリストテレスが、その点について……きわめて興味ある見解を述べている。
ジェロント:でございましょうな。
スナガレル:いや、まったく。あれは偉大な人物であった!
ジェロント:それはもう。
スナガレル:偉大も偉大な人物……(肱から上をあげて)あらゆる点で、わたしよりこれくらい偉大な人物であった。さて、さっきの議論に戻るが、わたしの考えでは、舌の運動の障害は、ある種の体液によってひきおこされる。この体液を、われわれ学者のあいだでは悪性体液と呼んでいる。悪性、すなわち……悪性体液。かるがゆえに、患部より立ちのぼるさまざまな発散物によって形成される蒸気が……つまりその……かのところから出てまいって……あなた、ラテン語はおわかりかな?

ここからラテン語ラップみたいになっていくのだけど、言葉がわかったらかなり面白いのだろうな、という展開。ああフランス人になりたい。
そしてこの「体液」のところには、後にこんな注釈があります。

この時代までの医学では、人間の体内に血、粘液、胆汁、黒胆汁(メランコリー)の四つの体液が流れており、これら四つの体液を混ぜ合わせる(temperare)ことによって性格や気質(temperament)ができるものと信じられていた。

わたしは初めてモリエール作品を読んだのが「ル・ミザントロープ」(邦題は「人間嫌い」「孤客」「怒りっぽい恋人」など)で、なんじゃこれは! と、この「性格喜劇」といわれる世界のとりこになりました。そしてその後の時代には「気質喜劇」と呼ばれるものもあることを知りました。このモリエールの「いやいやながら医者にされ」には少し体液論が出てきて興味深いです。


わたしとしてはこれ、どうしてもトリドーシャを想起せずにはいられないのです。インドでナチュロパシーの先生からヒポクラテスの体液病理説の歴史と並べてインドの医学の中の三要素(トリドーシャ)を教わったので、これには思わず食いついてしまいます。ヒポクラテスに手を出すのはまだまだ先だと思っていたところへ、コントやお笑いが大好きなわたしに思わぬところから迫り来る体液説(笑)。
モリエールからじわじわ親しんでいけば、西洋の哲学にも近づいていけるかな…。



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