この作品は「それ、カルトじゃないの? 国内瞑想合宿でその金額って、大丈夫なんかい…」という友人知人の瞳孔開きっぱなしのトークに出くわしたことのある人には、グイグイくる喜劇。グイグイどころじゃない。
「この人は、キリストに帰依する素晴らしい人なのだ。こんな欲のない素晴らしい人のありがたみがわからないなんて、…おまえたちは目が腐っとる」くらいの勢いでひとりの人物に傾倒するお父さんを、その家族や小間使いが「いやいやいやいや、騙されてますって。明らかに怪しいですやん」みたいな感じで説得していく喜劇です。おもしろそうでしょ。小間使いのドリーヌさんが「あまりにも戦略的にしゃべりすぎる市原悦子」みたいで、かなりいいキャラです。
読みどころは、もうおすぐ壺などを買わされそうなお父さんを説得する義理の弟(妻の弟)クレアントという人物の長セリフ。しびれます。
以下第一幕より。(引用部の太字は本文内では傍点)
あなたがたみたいなありがた屋さんの言いなりにはなりませんよ。偽の勇者がいるように、偽の信者もあるんです。名誉にみちびかれて進むとき、真の勇者は大騒ぎするもんじゃない。それと同様、もって範とすべき真のよき信者は、仰々しくしかめ面として見せたりするもんじゃありません。いったい、お義兄さんは、えせ信心と信仰とを全然区別しないんですか。このふたつを同じような言葉で扱い、仮面にたいしても素顔と同様の敬意を払い、手練手管を真心と同列に置き、見せかけと真実をごっちゃにし、幽霊を人間並に尊敬し、偽金を本物扱いしようというんですか? 人間ってやつは、ずいぶん、根性曲がりにできているんだなあ! 自然のままの人間なんて、お目にかかったためしがない。理性のはたらく範囲が狭すぎるんで、だれしもついその限度を踏み越してしまう。どんなけだかい物事でも、それを誇張したり、あまり前へ押し出そうとするもんで、台無しにしてしまうこともめずらしくない。これは事のついでに申しあげただけですがね、お義兄さん。
理性のはたらく範囲が狭すぎるとは、まさに。このながれで、このセリフというのがすごくおもしろい。すごいなモリエール…。
電車で読むとニヤニヤしちゃうおもしろさなのですが、岩波文庫の表紙で「モリエール作」なんて書いてあると、インテリな読書家に見えますからお得です。わたしは現代の芸人さんのコントが好きなのですが、モリエールはかなり現代コントの脚本ぽい。
「性格喜劇」なるものをモリエールを読むようになって初めて知ったのですが、25年位前に清水ミチコさんが「夢で逢えたら」という番組でやっていた「ミドリ」というキャラクターのコントを思い出します。