うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

坂の途中の家 角田光代 著


なにこれ知ってる人だらけ。というか、わたしだらけ…。
両足首をつかまれて、「これも経験あるでしょ、これも経験あるでしょ」という紙芝居を100枚ノンストップで見せられるかのようなしんどさで、読むのをやめられなくなる。


 夫婦の人には「対等って?」という問いが
 子育て中の人には「育児に正解なんてあるの?」という問いが
 結婚しかけたことのある(しかけている)人には「相手や親族の言葉から何を察して踏み込まないのか」という問いが
 離婚したことのある人には「対等じゃなかった理由」があふれ出てくる解毒感と、「なぜ気づかなかったのか、気づかないふりをしたのか」という問いが


たぶんそんな感じで船に乗せられて、向こう岸まで連れていかれちゃう。読まないと終わらないから読むしかない。



これは被害妄想の話だけど、



 「被害妄想」をしたことは、ない?


 「被害妄想」をされたことは、ない?



と自身に問えば、いっぱいある。
なので、こんなにも多くの感情を一つの物語に収めてしまうことに圧倒される。



人には



 言われてみたら、そうかもしれない。



という認識のしかたがある。
これは、思考停止なのかな。疲労じゃないのかな。マウントされてるのかな。マウントされなきゃいいんじゃないのかな。
わたしはよく、そんなことを考える。



「被害妄想」をすることは、ひとつの「防御」のプロセスではないかと思う。
それが折り返すと



 下から支配



をしようとする。せめて下から…、という思考。
下から支配しようと思ってみたけど、それもダメだったときに、どうするか。
なにをするかの違いは「たまたま」なんじゃないか。殺人犯になるのも、「たまたま」なんじゃないか。
わたしはそんなことを、よく考える。なので、この小説はものすごいと感じた。
わたしの中にたくさんある日々の考えを複数の人数に割り当てて、脳内セリフと口のセリフと行動に再構築して、裁判の場面で復習の機会まで与えてくれる。最初に書いた「わたしだらけ…。」とは、そういう感じ。


このセリフの「子ども」の部分を「仕事」に置き換えて、夫を「仲間」に置き換えて読むこともできる。

この子はおかしいって言われるたびに、私がおかしいから子どももおかしいと言われていると自分を責めました。この子はおかしくないよねと、夫に確認することも、こわくてできませんでした。

こうなったこともあるし、こうならなかったこともあるし、こうなっている人を見たこともある。
この本は「責められているという気持ちは、どこから湧き出てくるのか」を探るサスペンス。
出たばかりの本だから、気になっちゃったらすぐ買って読んだほうがよいです。Kindle版も出てます(うれしい!)。


いまわたし、あなたをマウントしようとしていますよ。マウントしようとしている自覚をもってなお、強くおすすめしています。
こういう文章を同時代に読めることに「ありがたい」という気持ちが発現するかどうかが、「生気」のポジティブな面とつながっていると思うから。


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