うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

余計な一言 齋藤孝 著


なにげなく読み始めたら反省することばかりで、いっきに読んでしまいました。
コミュニケーションの身体性にも触れられており、「上手に話ができるようになる練習方法」という章に

身体性が伴わず、言葉だけが連なると、「余計な一言」を生みやすくなります。

とありました。
余剰エネルギーが口から出てしまうことって、ありますよね。これを読むと、運動をしない中高年がこわくなる。


全部読んだ後の「あとがき」にある「精神の森」の話もすごくいい。ほかにも、「気のおけない友人が一人いればいい」など、実感としてうなずく結論が多い。
グループ名や外国人のタレントに「さん」付けをする余計さも指摘されていて、これはわたしも以前から気になっていました。ニュースで「マリリン・マンソンさん」なんて表示を見ると、ブランド・イメージが下がる敬称ってのもおかしなもんだなと思います。


この本は、ありがちな口癖を題材に世の中を見ていくような書かれ方。以下はわたしも日々気になることと重なりました。

そもそも、反対意見を出して検討し合うことが、心理的に受け入れられない人が日本には多い。自分の意見に対して反対のことを言い立てられると、"逆らっている" と感じて嫌がる。
(22ページ 逆接は議論の基本だが…… より)

インドの古い書物を読むと「議論」がすごくおもしろいのですが、この感じは伝わらないであろうという厚い壁を感じます。理由はたぶん、ここにある。


本来、「逆に言えば」と言った後には、必ずある程度オリジナリティのある、他の人が思いつかないようなことを言わなければならないはずです。だからリスクのある言い方なのです。
(32ページ 自己顕示欲の現れ より)

「言い換えただけか〜い」と思っても、「ああこの人は、自分は頭がいいと思われたいんだな」と認識する。それが大人の対応のようです。


 ほとんどのことは「本音」ではなくて、あくまでもその人の「現在の認識」もしくは「一つの認識」に過ぎないと思ったほうがよい。それは刻々変化するものなのです。
(58ページ 本音を言うな より)

これは、ほんとに。この前後に、かなり重要なことが書いてありました。


読みながら猛反省したのは「あと」という言葉。わたしはこれを、よくやってしまいます。たしかに稚拙すぎるし、小学生に多いというのも納得。「ついでになにか言う」というのは、ほんとによくない。身近な人は指摘してくれないことが、たくさん書かれていました。
この本を読むともっと感情を「ためて」から口を開かなきゃ。と思います。(お口のバンダ、ね)


▼紙の本・Kindle版、両方あります