うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

女性が怒りを表明する権利の行使とその代償

先日、自分の言葉を持っていなかった女性が突然圧倒的に存在を肯定されチヤホヤされることで調子に乗り、みごとに転落していく物語を読みました。

タゴールの書いた『家と世界』という小説です。

 

この物語に出てくる女性・ビモラの発言が、あっっっちゃぁぁぁ・・・という感じで、だからこそ引き込まれます。女性活躍なんつって神輿に担がれると痛い目に遭う話のインド版で。

 

彼女はお金持ちの奥様なので、こんな話しかたをします。

「難しい議論は苦手ですから、思いつくままに申しますわ」

 

そしてこれに続く内容は “考えはまとまってないけど欲求と怒りはあります” としか言っていない状態なので、まんまと資金源として利用されます。

 

 

わたしはお金持ちの奥様ではないけれど、ビモラのことを愚かだと思えるかというと、思えない。ビモラをあざ笑うと過去の自分が傷つきます。

彼女は夫とのコミュニケーションについて、こんな感覚を持っていました。

ちゃんとした反論があるはずなのだが、即座には頭に浮かんで来ない。困るのは、「人の道(ダルマ)」という言葉が出されると黙らざるを得なくなることだ。「人の道(ダルマ)」をそこまで大切にする気になれないわ、とは言えないではないか。

(「家と世界」R.タゴール著 62ページ)

 

彼女はどうやって意思の出口が塞がれているかを認識しています。

 

 

 

また、自分を溺愛する夫と、恋愛感情を使って自分を利用しようとする夫の友人に対して、こんな冷静な考えを持つようになります。

 

 この頃わたしは、しきりにこう思うのです ── 男には、夢中になるものがひとつ必要だが、それが女であってはならない、と。

198ページ)

 

どんどん覚醒していきます。

彼女は家の中でダルマを説かれることにうんざりしていたけれど、無条件で全肯定されるのもキナ臭いと感じています。

 

 

そんな妻をもつ夫に対し、身近な師が行うアドバイスにキラー・フレーズがありました。

この夫婦はベンガル地方の村に住んでいます。

その夫に対して、師がこう言います。

「いいかね、一言言わせてもらうが、ビモラをカルカッタに連れて行った方がいいぞ。ここにいると、彼女には外の世界が狭い視野でしか目に入らん。世界のすべてを、調和をもって理解するということができんのだよ。きみは彼女に一度、世界というものを見せてやらねばならんのだ。人間を、人間の活動の場というものを、一度広い視野に立って見ることができるように。」

(「家と世界」R.タゴール著 338ページ)

 

わたしはこの “調和をもって理解する” が刺さりました。

ですが、落ち着いて読むと

世界 > カルカッタ > 村 > 家 なのはわかるんだけど、いきなり世界じゃ話がデカすぎる。

 

 

この師は、この物語の環境背景としてある反英闘争と暴徒化している外国製品排斥運動に対してこのように考えています。

  • 人間の歴史は、地球上のすべての国、すべての民族によって形作られてきた
  • 政治においても、正義(ダルマ)をお払い箱にして国を祀り上げることは許されない
  • ヨーロッパがこのことを本心から認めないことはわかっている
  • だけどヨーロッパこそわたしたちの師匠(グル)であるというのは受け容れない

 

ここでもダルマだのグルだのいうてる。

たぶんビモラは、男性社会で受け継がれてきた倫理・道徳観の連鎖を、今でいう「モラルハラスメント」と感じていたと思うんですよね。

 

 

もう一度、夫に対するビモラの本音を引用します。

ちゃんとした反論があるはずなのだが、即座には頭に浮かんで来ない。困るのは、「人の道(ダルマ)」という言葉が出されると黙らざるを得なくなることだ。「人の道(ダルマ)」をそこまで大切にする気になれないわ、とは言えないではないか。

 

いつだったか、ヨガクラスの前に「オリンピックの時に森元首相が “女性が入る会議は時間がかかる” って言ったの、あれって女性は納得というか、理解はしてるんですよね」という話をしたことがあったのですが、時間がかかるのは、言葉が出てくるまでに脳内で障害を取り払う際の、障害物の数が多いからなんですよね。

語彙力や教養、やる気やバイタリティ、ましてやポテンシャルの問題でもなく、これは歴史と算数の問題。

 

 

たぶんビモラは夫に「アタシを “教育” しないで!」って、ずっと言いたかったのだと思う。

「わたしをいきなり意識の高い世界へ連れて行こうとしないで! その前に、まずは “部屋とYシャツと私” がやりたいの!」と。(参考

タゴールは詩でも小説でも、ここを書くから最高です。

 

 

(この本は古本でしか売っていなかったので、図書館で借りて読みました)