よく思うこと。
「見つけた者が機会を得る」
「行動したら、コトが起こる」
こういうのは、自然なこと。
動物が「あの木の影に、見えにくいけど小さくて甘い果実があることを知っている」というのと同じ。
果実は果実、自分は自分。もしわたしが一匹の動物だったら、「果実のありかを知っている自分」に優越感を感じることはない。
「関係」に固定的な価値基準をつけられると考えるのは、ヒトの世界特有の定義。
それをプレゼンテーションすることに、わたしは年々抵抗が強くなってきています。
わたしをかまってくれる○○さんは、いい人
わたしを褒めてくれる○○さんは、いい人
わたしを優遇してくれる○○さんは、いい人
こういう判断基準は執着だからエスカレートすると思うのだけど、
「よくしてくれなきゃ悪い人」になっちゃうんじゃ、どんどん世界が狭くなる。
選球眼
わたしはこういうことのために修練をして、いい感度を保ちたい。
「いい球を投げてくれるあのピッチャーはいい人」なんていうことが成立しない世の中だから。
年齢を重ねると知人が増えるしいろいろツーカーになったりしてラクになることが多いのだけど、それが技術や精度と紐づいたものなのかというのは 、いつも客観的に見ないといけない。状態は常に変化するのでね。
こういうことを考えるとき、つくづく体力って重要だなと思う。