これも旅行中に読みました。「アルケミスト」に続けて読み始めたら、こちらは旧約聖書の列王記に出てくるエリヤを題材にしたもの。長編でしたが、後半に「戦い」について考える場面が増えてくると、まるでバガヴァッド・ギーターを読んでいるような気分に。「神をも追い出す主体性」「自らの行動を選択し決定する能力」について意識させられる一冊で、読んだ後の充実感がよかった。旧約聖書版のカルマ・ヨーガだなぁ。
たくさんハイライトしましたが、厳選して沁みたところを、誰のセリフということもなくご紹介します。
「誰でも、自分の仕事に疑問を持ち、時にはそれを捨てる権利を持っている。しかし、人がしてはならないことは、その仕事を忘れることだ。自分自身に疑いを抱かぬ者は尊敬に値しない。なぜなら、自らの能力をまったく疑わずに信ずる時、人は傲慢という罪を犯しているからだ。優柔不断な時を味わう者は幸いなり」
最後の一行が沁みる。
「第五の山を見て下さい」とエリヤが言った。「同じ山なのに、見る方向によって、みんな違って見えます。すべての創造物はこれと同じです。同じ神が持つ、沢山の顔なのです」
ブラフマーも阿修羅像も、すべての面がドリフのメンバーみたいにぜんぶ違う顔にすればいいのに。という話ではなく沁みました。
「最もすぐれた戦士は、敵を友人に変える者です」
これ、クリシュナにはない発想。博愛思想おそるべし。と思ったけど、己が己の敵であったのを友に変える(ギーター6章5節)と思うと、これまた深い。やっぱりクリシュナ偉大(優柔不断を幸せに愉しんでおります)。
「主は、憎しみを棄てるために祈る者の声は聞き届ける。しかし、愛から逃げようとする者に対しては、聞く耳を持たないのだ」
言ってもしょうがないから、聞かないって感じなんだろうな。神。
人生は望みによってではなく、その人の行いによって作られる。
これはもう刺青にしたい。おでこに「肉」ってある人みたいに「行」ってするくらいに。
しかし、戦場へ足を踏み入れたとたん、彼は兵士の目の中に、激しい喜びを見た。あたかも彼らは一つの目的のためにずっと訓練を受け、待ち望んだ一瞬がついにやって来たかのようだった。
(中略)
エリヤは混乱した。それを認めるのを恥じはしたが、彼も同じように感じていた。彼は舞台の行進を見た時の少年の興奮を思い出した。
この心情を、男性はなかなか正直に描きませんよね。いちばんごまかすところですよね。パウロさんすごいわ。
子供は常に、三つのことを大人に教えることができます。理由なしに幸せでいること。何かでいつも忙しいこと。自分の望むことを、全力で要求する方法を知っていることの三つです。
過去に囚われない強さ。
誰でも生まれた時につけられた名前を持っている。しかし、自分の人生に意味を与えるためには、自分で選んだ名前をつけることを学ばなければいけないのだ。
そう、この物語のいちばん太いメッセージは「主体性」。
聖書の中でもホセアさん、エレミヤさん、パウロさんはそれぞれに思想を持っていて素敵と思っていたのですが、エリヤさんもいいなぁ。
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