うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

天職って? svadharma と svakarma

以前「svadharmaのみつけかた(実例ベース)」という、生ブログから派生したエピソードを書きましたが、今日はもう少し本来の語の意味に沿って書きます。
わたしが気まぐれに開催しているバガヴァッド・ギーターの勉強会は、参加者がセレクトした節について一緒に話すスタイル。そこでピックアップされるものの半数近くが「職務」「役割」に関するものです。わたしも仕事の悩みにぶち当たったときに何が手元にあると救われるかといったら、やっぱりギーターです。コーランもダンマパダも捨てがたいですが、やはり仕事の悩みとなれば、ギーターです。これはもう、ダントツです。それは、読めばわかります。


ただ、書物としては大前提が違う。これは読書会の冒頭の講義でもやるのですが、わたしたちはいまこのような社会の中で生きています。

  • カーストがないので、職業範囲に生まれながらの縛りがない
  • 仕事自体、自分から選んで決めに行く、自分トリガーであることが多い。家を継ぐにしても、無条件でというケースが減ってきている
  • 働き方まで自分から選んで決めに行くバリエーションとして、定義や名前が増えている(正社員・業務委託・派遣・バイト・長期・単発・奉仕?!)


インドの聖典の時代は職業が世襲制で決まっていて、ギーター自体、背景の物語が「武士カーストなんだから戦争に参加しろ」という設定なんですね(要約しすぎですが)。ただあくまでこれは設定で、読みながら意識を重ねる対象はそこで語られる「教え」です。形式もポエムです。その詩に乗せてクリシュナが発する言葉に、わたしたちのいろいろな本音が触発され、発動します。
その流れで、「職務」「役割」を想起する人がとても多い。日々感じている迷いの種の話になる。



 みんな、天職が知りたいのよね



これは毎回、しみじみ感じます。「svadharmaが知りたい」という渇望にも近い気持ち、わたしもよーーーくわかります。
そもそも女性がこの書物を読んで「天職が知りたい」と思う時代というのが、ギーターのメッセージの作られた時代とは背景がかけ離れている。女性は妻になり母になれ(もしくは誰かに仕えろ)という世界とは違う。
ギーターの時代にあえて視点を移した文法で語ると、わたしたちは、武士を鼓舞する教えに共感する社会に生き、しかも仕事を自分で決めていかなければならない。どこまでも主体性を求められる環境にいる。そりゃぁ、神のうたう戦争バイブルが刺さるわけだ。



でね。
svadharmaってのは、「自ら(家柄・生まれながら)に定められた義務」なので、今の日本人で該当する人はあまり多くないんです。歌舞伎役者などは svadharma そのものという感じですが、それはレアケースで、定められてない人がほとんど。なので、ここはギーターに自分をそのまま重ねようがない。
たぶんみんなが知りたいのは、どちらかというと、svakarma という「生まれながらに定められた生き方」のほうが、ニュアンスとしては近いのかなと思います。ただこの svakarma も、行為を定める法のような書物では「定められた職務」という意味になります。


要点としては、語を分解すると


「sva(おのずからなる性質)+dharma(義務)」


 よりも


「sva(おのずからなる性質)+karma(行為)」



たぶん、みんなが渇望するように知りたがっているのは後者。



 自分の性質に従う生き方



ということでしょう。だから、レリゴーレリゴーって、歌いたくなるのでしょう。そんな流れで、先日は「夢」をヒントにしてそれを探っていく実例を書いたのでした。
でね、重要なのは、その先です。
よく耳にするこの言葉。



 天職



これ、わたしの感覚では呪いの言葉に近い。
面接の返答でこの単語を出す人がいたら「大丈夫か?」という感じだし、逆に採用する側が単語を使っていたら「やめといたほうがいいかもよ」と。わたしは、いまはそういう時代だと思うんです。そもそも「天職」って面接で入る世界ではない気もする。それは道場のドアととらえたほうがいいのではないかな。



天職だったかどうかは、肉体を離れる(死ぬ)直前に、自分で判断したければすればいい。人に言わなくても、自分のなかでそういう対話ができればいい。わたしは、ギーターの中で説かれているのは「"今この瞬間は、これが天職だと思ってる" という瞬間を重ねること」と捉えています。重ねて重ねて、うなぎのタレみたいになるんじゃないかな。
そして将来、あらやだアタシったら、「アナゴのタレ」になってたわ。って、最終的にそいういうことって、あると思うんです。
数十年後にうなぎがないかもしれないこの世の中で、そんなことを思う今日このごろです。