『夏目漱石の「こころ」について、女ふたりで話してみた』という記事をアップしたあと、「わたしはこう読んだのですが」というお話を聞かせてくれた女性がふたりいまして、ひとりは食事をしたときに、もうひとりはメールでお聞かせくださいました。
お名前は、ゆきこさん、ともこさんとします。
(カレーを食べながら)
ゆきこ:あの夫婦、なんかきもちわるい感じがしませんか。
うちこ:いかように?(もぐもぐ)
ゆきこ:男女の、そういう感じがないというか……
うちこ:……・・・ あ”あ”あ”あ”あ”(声にならない合点)
(数日後。ともこさんからのメール)
先生と静は、終生できてないと思う。試行はあったかもだけど、(〜以後詳述は割愛。結論、できてない。と)
わたしも常々、その要望を遠まわしに表現する「奥さん」が、気になっておったのですよ。
子供がほしいというより、それ以前のことでしょう、と。
先生は妙に健康体であると。死にたくても病気で死にそうにない健康体であるという複線もありつつ、グルジはこれも描いているのではないかと。
罪悪感が身体へ及ぼす影響
深読みしすぎですか? わたしたち、よごれすぎですか?!
「瞑想」と「冥想」を書き分け、ドーシャも巧みに表現するグルジのことですから、このくらいはあたりまえに仕込んでいると思うの。
どぉかなあ?
とりあえず、よごれているわたしたちはチャクラ・アーサナをがんばる。
▼関連補足