うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

「若作りうつ」社会 熊代亨 著


ブロガー「シロクマさん」の書かれた新書。わたしはこのかたの記事を「ハフィントン・ポスト」に転載されているもので読むことが多いのですが、以前「承認欲求がバカにされる社会と、そこでつくられる精神性について」という記事のなかで、いまの社会を

欧米的な個人主義社会と日本的な村社会の悪魔合体のような印象を受ける

と表現されいたのが強く印象に残っていて、かねてよりこの題材の著作が出たらぜひ読みたいと思っていました。




この本の内容はとにかくグサグサくるけどまったくご指摘の通りで、現代のコミュニケーションのさまざまな問題の背景がグラフや図解を交えながら丁寧にまとめられています。いま子育て中の友人にすすめたくなるし、年長者から学ぼうという気持ちになります。
タイトルは事情があってこうなったようですが、内容は「ネット世代向け 老いの才覚シミュレーション」という感じで、冒頭で語られる「若作りうつ」の問題提起よりも、居住環境や家族、コミュニティのありかたの変化から紐解かれる考察が鋭い。
コミュニケーションの多様性が実現しにくい背景として、子ども時代の内面化プロセスに以下が重要(P184)という結論は、ほんとうにそうだと思う。

  • 多様性に富んだものか
  • 余裕を含んだものか
  • 融通のききやすいものか

大人になってからも己が己の敵となる場合の種になるものは、ここ。かといってなんでも親のせいという話ではない。親が一人で子育てをしていれば子どもにとっては「唯一神」のような存在になり、他の年長者にすがりついたり、他の年長者の行動を見て判断する選択肢は浮かび上がってこない(P126)というのもそのとおりで、どっちもわかる。自分の親世代も、大変だっただろうと思う。



第二章「誰も何も言わなくなった」では、夏目漱石も小説の中で嘆きまくっている「しんどすぎる近代化」を振り返りつつ、生まれる場所と死ぬ場所の変化が語られている部分にうなる。著者さんは第三章の「サブカルチャーと年の取り方」では、信仰に似たなにかについておもしろい角度で語られています。



引用の引用になるけど、この本にあった梅原先生の「地獄の思想」からの抜粋が沁みました。

 東洋の伝統的な敬老の精神、それは深い思いやりに支えられているかにみえる。老人、それは死の近くにすむみじめな人間である。もしも、人がこのみじめな人間にうわべだけでも尊敬の態度を示さなかったら、老人たちはどうして自己のみじめさに耐えられるだろう。しかも、そのみじめさは、いつかは、だれもが体験しなければならぬみじめさなのだ。
(『地獄の思想』中公新書、1967年)

死や老いについて語る文化がない中で、どんどん語られなくなっていること。
中国人の友人を見ていると年長者を敬う姿勢にその意識の太さを感じるし、インドでは現世に未練を残さないように、家族と離れて死にひとりで向き合おうと聖地へ向かう人もいる。





「年長者に訊くよりググればいーじゃん」となった今の時代の流れは、極端すぎる。



ここは本当に鋭い指摘、と思ったところをひとつ引用紹介します。

 私は、こうした格差を無視して構わなかったのは、現代住居環境をみずから選んだ一代目の人達までではないかと思っています。彼らは成人した後にマンションや新興住宅地に移り住んだので、本章で紹介してきたような "自由な居住環境の副作用" をあまり蒙りませんでした。
(第四章 現代住居環境と年の取り方「自由な居住環境の副作用」より)

わたしはこの本の中でも第四章の指摘の鋭さにしびれ、この前後が読みどころと思います。親の世代とわたしたちの世代は、あたりまえだけど価値観も危機感も変わっていく。




ヨガのクラスで「いまの寿命の流れでいうと、女性はこのなかの三分の一が90代まで生きます」と言うと、おしなべて丁寧なアーサナになるのですが(笑)、そういうことなんです。
この本を読むと、いろいろな面で冷静になれますよ。

「若作りうつ」社会 (講談社現代新書)
熊代 亨
講談社
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