うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

おしゃれなヨガも、スポーツクラブも、いいんでないかい

「わたしがやっているのは、その、フィットネスのヨガで……」とモジモジする人に、たまに出会います。
わたしは基本的に、スポーツクラブでのヨガはもちろん、岩盤ヨガでも、ホットヨガでも、いいじゃない。と思っています。そもそもアーサナだけの範囲でやるしかない背景があるんだもの。日本には(オウムの影響のことね)。
そんななか、たまに、「あれはニセモノだ」というような表現に出会うことがありますが、なんというか、ハタ・ヨーガの古典を読めば読むほど、





  欲しいのは不老不死の身体と精神の解脱。





ってことで、これがしつこいくらい何度も登場します。
ヨーガ・スートラと仏教経典の共通点が





  悟りたい。もう今生で輪廻を卒業したい。





というのと似ています。
昔のインド人たちがウナギのタレのように重ねてきたヨーガ教典を読んでいけば「老けたくない病気したくない死の恐怖を克服したい」、ナイナイ連発! そんなおり





  本物のヨーガ





と一生懸命言ってみても、なんというか、みんなとにかく老いたくないみたいなんですよ。昔から。
昔からというのは、12世紀くらいから。そう書いてある。





  本物のヨーガ





これを言われると、わたしはそれに応えることができない。
世の中「言った瞬間から二元論」ってことだらけなので。4世紀までさかのぼっても、ヨーガ(サーンキャ)の二元論は、善悪とは違うものです。





  ヨーガの本質





といわれたら、都度都度その質問に応じて思うところを話すことができるかもしれないけど、ヨーガの教典には





 「老いたくない、死の恐怖を克服したい(身体)」
 「今生で終わりにしてもう転生したくない(精神・魂)」





だけでなく、「神通力を得る」「すべてを支配する」「なんでも思いのまま」「そう、まさに神と同じ存在になるのだ〜」という要素もあり、それはまるでドラえもんの四次元ポケットを手に入れるんだ〜 とばかりの世界観です。


「本物のヨーガ」という話の流れになる場面には、いろいろな切り口があると思うのですが、もしなにかを偽者というのであれば、その偽者に対する問題視の分解から取り組みまないといけません。なぜ偽者を指摘するあなたのそれは本物といえるのか。


ハタ・ヨーガの古典を読むと、「老けたくない病気したくない死を克服したい」の定番のほかに、「まるでティーンネイジャーのように若く見えるようになっちゃう」とか、「白髪がなくなる」とか、けっこうカワイイことが書いてあったりします。いま読むと、そういうホンネの目標を隠す心のほうが邪気なんじゃないかってくらい、とにかくよく出てきます。なんだか、ロックスターの武勇伝のようなかわいらしさです。



ヨガの練習のもたらす日常メリットはなにか。わたしはこんなことかな〜、と思っています。

  • 「行動しない理由・動かない理由」を探そうとする鈍性マインドを減らす
  • 「活動をするための反発バネ材料・倒すべき敵」を探そうとする、激性マインドを抑える
  • 期待せずに物事に向き合い、なにごともサッと取り組めるマインドへ流れを変えていく


鈍性・激性には安定・活動的という長所もあるので、全体のバランスには「よい鈍性」「よい激性」も入ってきます。
こういうことを、漠然とした面倒くささやイライラではなく、溶かして分類して整えていく、そういう作用がすべての練習のなかにあると思っています。スポーツクラブやフィットネスジムのなかにも、もちろん要素はあります。



それよりも、古典の中にあるヨーガ修行の目的のなかで気になるのは




 「罪滅ぼしをしたい」
  ⇒今生で終わりにして転生したくない(結局これ)




わたしは、「罪の意識」というのは練習の大きな原動力だと思っています。
身体によくないものを獲ってしまった、身体を甘やかしてしまった、感情に流されてしまった、感情を押し殺して自家中毒になってしまった etc……、いつも最良のバランスを選ぶことは至難の業。清浄でバランスを欠く罪を犯さなかった日なんて、まったく一日も思い出せない。「罪の意識」をあわてて誰かや何かのせいにせず、「これは帰りにアーサナの練習で燃やしとこ〜」とか「瞑想で見つめちゃお〜」と、しばらく置いておく。ヨーガは、そういう棚上げ先になってくれる。なので、わたしはヨーガを「宗教ではない」とは言いません。



古代のインド人がここまでヨーガを開発しぬいた原動力が「己の行為の罪滅ぼしをしたい。それも、現世カルマの範囲だけでなく、過去生まで含めて一掃したい。そうしないと解脱できないから」という、とてつもなく広範囲に及んだものであったことをたまに思い出すことがあれば、スタイルはなんだっていいと思っています。