長谷川等伯の生涯を追う時代小説。ふだん小説はあまり読まないのですが、京都出身のヨガ友がわたしが好きそうな話だといって貸してくれました。
上巻は「信長の時代」下巻は「秀吉の時代」。上巻では比叡山焼き討ちの生々しい描写や安土宗論、キリスト教の上陸が時代背景として描かれていていて、はらはら・ドキドキ・しみじみ・モヤモヤと思いが動かされます。信長の政策に翻弄される世の中で、絵心と仏心が重ねてセリフに反映されていく構成。メモしておきたくなるようなセリフもいっぱいでした。
なかでも第五章で、妻の静子が法華経に説かれている世界を夢に見た後の等伯との会話が沁みました。二人とも信心深く、法華の世界を教えとして頭ではわかっているけど心ではむずかしく、「それが分っているのに、人はどうしてこんなに苦しむのでしょうね」とあらためて振り返る場面。
「わかっちゃいるけど悟れない」という心情が随所に登場する、等伯の心の描写が味わい深いです。
表現とは病である。どんなに美しく描こうと真実をとらえようと、我欲や煩悩にあやつられた技にすぎない。(第二章「焦熱の道」82ページ)
描く瞑想。
大津方面からの物資をこの地に運び込むために、鴨川にいくつもの橋がかけられた。三条、四条、五条の大橋ばかりか、その間にも細い橋をわたした。
当時洛中に住むようになっていた宣教師たちはこれを見て、何と橋(ポンテ)の多い町だと驚き、ポンテ町と呼ぶようになった。それが先斗町の名の由来になったという。(第三章「盟約の絵」118ページ)
一、二回じゃ覚えられなかったポントチョウの由来。
尊像とはただの肖像画ではない。描かれた姿を見て、僧の悟りがどこまで進んでいるか分かるものでなければならなかった。(第三章「盟約の絵」137ページ)
上巻では等伯が二人の僧の肖像画を描くのですが、「とらえる」という心の作業をかなり細かく追っています。ここは読みどころとして深いエピソードでした。
南蛮人は牛の肉を食べ血をすするという噂は、彼らが行く先々でついて回っている。血ではなく赤ワインなのだが、そうした噂を信じる者は多かった。
しかも南蛮の医者は、患者を裸にして体を触るという噂もある。静子が恐れるのも、あながち無理はないのだった。(第五章「遠い故郷」263ページ)
後半は異文化による意識改革も描かれていて、モナリザを模写する等伯の心情の描かれ方がおもしろかった。
戦国時代の後期になって、宗教に対する庶民の関心はおどろくほど高くなっていた。
理由のひとつは、明日をも知れぬ混乱の時代だけに、誰もが宗教の絶対性に心の平安を求めるようになったことだ。
理由のその二は、経済成長によって豊かになった庶民が、宗派ごとに団結するようになったことである。
抽象の商工業者は現世利益を説く日蓮宗の、流通業者や非農業民の多くは一向宗(浄土真宗)の門徒となり、生活や職業の上でも相互扶助的な教団組織を作り上げた。
理由のその三は、フランシスコ・ザビエルの来日以来、宣教師が続々と日本を訪れ、キリスト教の布教をするようになったことだ。
死の危険をおかして長い航海に耐え、信者を求めて献身的な活動を続ける彼らの姿は、宗教の持つ力の大きさを改めて日本人に思い起こさせたのである。(第五章「遠い故郷」279ページ)
イエズス会は仏教諸派の中でも一向宗と法華経を目の敵にしていた。またポルトガル商人も、堺での交易をめぐって法華門徒の商人たちと対立していた。(第六章「対決」346ページ)
宣教師たちは「信者」を求めていたのか。「信仰か政(まつり)か」という葛藤がこのストーリー全体のそこに流れるテーマでもある。
心の描写では、第三章と第六章の振り返りで二度登場する、"完全なかたき討ちではないけれど、ほうっておく気はないのだ" ということを表わすために使われていた「恥をすすぐ」という表現が、なんとも独特の響きでした。比叡山で等伯におとしめられた信長勢の人々が、「その事実を気持ちの上ですすいでおきたい」という思い。これは、すごく根源的な欲望のかけあわせのひとつのパターンとして、あるなぁと思った。
白黒はっきりすることをタテマエ上の美徳としながら、性根はグレーゾーンの中でも白を求めたい、正義という純白ではない白を掲げて行動のモチベーションにしようとする、あの感情。
人間のすごく複雑な、でも「あるある」な思いをグッとえぐるのではなく、所々であぶりだしながら時代を描いていく。歴史小説家って、すごいなぁ。
(つづきの下巻の感想はこちら)