うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

等伯(下巻) 安部龍太郎 著


(歴史の史実の話ですが、以下の感想はネタバレな書き方をしているので、これから読む人は注意してください)
いろいろナマナマしかった上巻に続く下巻はさらにドロドロしてきて、あっという間に読み進めてしまいました。ストーリーは狩野派と長谷川派の攻勢を主軸としながら、心の成長に千利休の壮絶な生きざまが絡み合ってきます。
師弟関係の心のやりとりにはウルッとくるものが多く、襖絵界のスター・ウォーズの様相。等伯の息子(久蔵)が狩野派に入る流れはまるで最澄空海の間で揺れ動いた泰範のよう。そのあと大どんでん返しになるのですが、その間に狩野永徳と心を重ねた理由を息子が語る場面があって、その言葉がまぁ〜、泣けるんですね。
以下ネタバレ

狩野永徳がキレちゃう場面で、久蔵が等伯にわびる(130ページ)

「父上、申し訳ありません」
久蔵が涙を浮かべて永徳の非をわびた。
「なぜ謝る。辛いのはお前だろう」
「私は弟子でしたから。あれは総師の病です。いつもはこんなことはありません」
「以前はあんなことはなかったそうです。しかし関白殿下に命じられて信長公のご尊像を描き直されたために、各方面から無言の非難にさらされ、心の病をわずらわれたのです。きっと狩野派を支えていく重圧は、我々が想像するよりはるかに大きいのでしょう」

関白殿下というのは秀吉のことで、この経緯を知った上で読むと、このあたりで、デューーーーーンと滝涙が出ますよ。



兄(武之丞)と弟(等伯)のドラマも、なんというか、インドっぽいんですね。
兄に絶対逆らえない弟としての等伯の板挟みっぷりがムズムズするのですが、それが「信じて進む道」を見つけた弟と、そうではない兄の人生のコントラストを映し出す結果になっているところが、この小説の奥深さのひとつです。


(156ページ 弟の徳や評価を「家」を守ることに利用しようとする兄との会話)

「申し訳ありませんが、そのようなお役には立てません」
「なぜじゃ。お前は玄以どのと昵懇(じっこん)の間柄だと申したではないか」
「親しくしていただいているのは、絵師として評価していただいているからです。政治向きのことをお願いできる立場ではありません」
「信長が比叡山を焼討ちした時、お前は玄以どのを助けたそうではないか」
武之丞はどこからかそんな話まで聞き込み、その時の恩を返してもらえと迫った。
「恩は充分に返していただきました。頼りがたいものに頼ろうとするのはやめて下さい」

この兄の強引さが、読んでいるとムカムカしてきて、まんまとストーリーに引き込まれます。




そしてこのあたりから、欺きあい、恨みあい、高額なお金の絡むデザインコンペ(永徳 V.S. 等伯)が展開されます。
ここはいまの金額で言うといくら、というのが書かれているので、とってもスリリング!
そのあとは、秀吉とイエズス会の関係が歴史に大きな影響を及ぼしていきます。これが、秀吉と利休の関係決裂の伏線になっている。


(191ページ)

沿道には彼らの姿を一目見ようと大勢の群衆が集まったが、問題はなぜこの時期に秀吉がヴァリニャーノらの入国を許したかということである。
秀吉は天正十五年(1586)六月にバテレン追放令を出してキリシタンの取締りにあたってきたのだから、この行為は方針を変更した結果だとしか考えられない。
しかも秀吉はインド副王への返書に「日本は神国ゆえキリスト教を禁止する」と明記したが、ヴァリニャーノの抗議によって削除している。これは官僚派の三成らが、キリシタン大名を見方に取り込むために、バテレン追放令を撤回、ないしは緩和したということだ。
こうして権力闘争の針は大きく出兵推進派の側に傾き、やがて利休や等伯にまで災いが及ぶことになったのだ。

いかに10代の頃に日本史をちゃんと勉強してこなかったかがしみじみわかると同時に、こういうことって、大人にならないと頭と心に入ってこない。「日本は神国ゆえ」のままであったら、いまの日本はもっと天則や天罰にコンシャスだったかも。いま天罰っていうとバッシングされちゃうからね。



等伯の襖絵ヨギとしての心の描写もたまりません。
(255ページ)

人の目とは不思議なもので、自分が学んだ知識や技法の通りに世界を観てしまう。それは真にあるがままの姿ではなく、知識や技法に頼った解釈にすぎない。


(中略)


等伯は日頃から画帳に草花や木々を書き留めている。数百枚もの絵の中から芙容や菊を選んで描いているうちに、不思議なことに気付いた。
真にそれぞれの様を写し取ろうとすればするほど、花も葉も図案化していくのである。目に見えるものを精密に写し取るよりも、花や葉の持つ本性を抽象的に描いた方がより本物らしく見える。それは人が物を認識する時に、無意識に記号として識別しているからである。
むろん等伯にはそんな知識はないが、経験によってそのことを理解していた。
(これは禅画ではないか)

禅画とヤントラ瞑想の接点が描かれていてびっくり。


知人のすすめで久しぶりに小説を読んでみたのだけど、絵師の視点で歴史を描いてこんなに多面的なストーリーになるなんて。
歴史とヨガが好きな人は楽しく読めますよ。

等伯 〈下〉
等伯 〈下〉
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