うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

インドの光 聖ラーマクリシュナの生涯 田中嫺玉 著(最終章)


後半の感想で終わったかと思いきや、最終章の感想です。
最終章は「世界への旅立ち」という章で、旅立つのはラマクリ師匠の教えのことで、実際にボディごと旅立つのは弟子のナレンドラ(スワミ・ヴィヴェーカーナンダ)なのですが、旅立ちよりも出会いの時期のエピソードがすごい。


スワミ・ヴィヴェーカーナンダも歌がお上手だっだようで・・・

<212ページより>
一流の声楽家にも劣らぬ素晴らしいバリトンで、ナレンドラはかなり長い歌を歌った。終わると、突然ラーマクリシュナは立ち上がり、ナレンドラの手をひぱって北側のベランダに連れ出し、戸をぴったりしめて、部屋の中の人びとから二人だけを隔離した。そして若者の手をしっかり握って、嬉し泣きに泣き出したのである。狐につままれたような気持でいると、
まるで長年外国に行っていた息子を迎える父親のような口調で
「ずいぶんおそかったじゃないか! 待ちかねていたよ。わたしの気持ちも知らないで、いったい今まで何をしていたんだい? 俗人どもの無駄話ばかり聞かされて、つくづくいやになっていたんだよ。わたしが長年かかって得たものをちゃんと受けとってくれる人をどんなに待っていたことか!」
うわ言のように夢中でしゃべりながら、ラーマクリシュナは泣き続けた。やっと泣き止むと今度は合掌して若者を拝み、こんなことを言った ──「あなた様は、古代(むかし)の聖者ナラのように、人類の不幸を救うために化身されたナラヤナ大神であられます!」

師匠、大☆興☆奮! のくだり。俗人どもの無駄話で疲れたって言っちゃうほどのリアクション。



で、それに対して
(つづき)

ナレンドラは気味が悪くなった。この人は頭がおかしいのだ。
(中略)
しかし黙ったまま、次にどんなことを言い出すか観察していた。

冷静。



このあとラマクリ師匠は、大学生のびべたんに、びべたんに・・・

すると今度は、「ここで待っていろ」と念をおして自分だけ部屋に入り、バターと菓子を持ってきた。そして手ずからナレンドラの口に入れて食べさせる。「自分で食べますから……」と何度言っても聞かない。全部食べ終わらせてしまうと、また彼の手をしっかり握って、「近いうちに必ず、こんどは必ず一人で来るんだよ、約束しておくれ」

今の世なら、周囲が全力で二度と行くなと止めてしまって終わりそうな話。お、お菓子!
でね、びべたんは行くところがえらかった。


会う度に、ナレンドラはラーマクリシュナを見直し、尊敬の気持が次第に増していく。しかし彼は知性と自信の塊であって、他の弟子や信者たちとは全然ちがっていた。ラーマクリシュナの言うこと、なすことをいちいち納得のいくまで徹底的に批判し、問いつめるのである。そして、ラーマクリシュナはそれを非常に喜んだ。
「女神の石像など拝んで、いったい何の効能があるのですか」「あなたは神と語ったとか言うが、それは一種の幻覚にちがいない」

あら、びべたんにもこんな時代が。のちのびべたんからは考えられないヤングな発言。
というところが見せ場なのではなくて、これに対する師匠の対応が見せ場です。
(つづき)

── あまり烈しく追及されると、純情なラーマクリシュナはカーリー堂にかけこんで泣く泣く大実母(マー)に訴える。
「マー! ナレンドラがひといことを言う。ナレンが言うように、いままでマーがわたしに見せたり教えたりしてくれたことは、ウソだったのかい? わたしを、だましていたのかい?」
すると大実母(マー)は笑ってなぐさめる ──「もう少しの辛抱だよ。あの子はああいうことを言う時期なのです。今にお前の言葉をみんな信じるようになるよ」

のび太ドラえもんのような、神との対話



ここまでにしておきます。
ここから始まってシャクティパットに至るまでがこの本の読みどころです。
そして、どうしてもわたしはその歌のエピソードの流れから、北島さぶちゃんと山本譲二を想起せずにはいられないのでした。


★ラーマクリシュナの本への感想ログは「本棚」に置いてあります。