うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

インド三大神のポジショニング


インド思想を学ぶとき、日本人の感覚だとここがネックではないかと思うことについて書きます。
三大神というのは、シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマーブラフマン)。なにかとよく登場しますね。ブラフマーはあまり馴染みがないと思うかもしれませんが、「OMマントラですよ」と言われたら、伝統的なスタイルのヨガをやっている人には、身近に感じられるかと思います。



むずかしい話はしません。ばくっといきます。この三大神は、わたしのなかでこういうポジショニング、という比較。


■シヴァ:ヒーロー。エース。
絶対に脇役になることがないので、最も人っぽく言いやすい。「ザ☆なになに」という存在を示すときや、「はいここ、ここ目指そうねー」というときに、トップにおくシンボルとしてひっぱりだこ。



■ヴィシュヌ:中の人。
なかのひと。いや、人じゃないんだけどさ、という感じのときに使う、中の人。偉大な存在に対して「すごいと思ったら、どおりで。中身があの方でしたか」というように、「ああ、ヴィシュヌの化身でしたか」という感じで、クリシュナもブッダもヴィシュヌです。ミッキーマウスの中に人はいないんだけど、世界中にいるよ! というような。ドアラ師匠やガチャピンさんにも似たものを感じたり(笑)。



ブラフマー / ブラフマン:アレ。
「ほらそこはやっぱり、アレだから」「もしかしてアレなんじゃない?」「アレはどう言ったらいいものかねぇ」というようなときの、アレの役割。ヴィシュヌが「偉大な存在」であるのに対して、「偉大なはたらき(機能)」というポジションなので、人格神にしにくい。




わかりやすくなったでしょうか。
特にわかりにくいブラフマー(梵)のところは、空海さんの密教で一度すごく混乱したのだけど、イスラームに触れてみたことで、この感じに至りました。



自然崇拝、人格神崇拝、いずれにしても信仰音痴になるしかないような国にいると、こういう感覚は育ちようがないので、だからヨーガのアサナ(体操)から哲学的な学びに進んでも、いろいろなことがピンとこない。
日本人の感覚でインド思想を学ぶのってけっこう大変なもんだなと、いまさらながら思います。