うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

インドとまじわる 荒松雄 著


東京大学東洋文化研究所に所属していた著者さんが1952年の研究旅行以降の記録とエッセイをまとめた本。このときの研究所長は辻直四郎さんだったそうです。
インドについては研究家も多いし旅行記もいくつか読んだけれど、この著者さんは「墓オタク」という明確なスタンスがあり、それがイスラームに通じているため、ほかの旅行記にはない面白さがあります。


エッセイ集なので、ところどころに書いているときの時代感がうかがえる記述があります。
「この文章を書いている丁度いま、テレビでは、チャールズ皇太子とダイアナ嬢の幸せそうな姿を、セントポール寺院の結婚式場から衛星中継で映し出している。」なんて記述も。
長きにわたる旅行でのあれこれを、わたしが子どもの頃の時代にまとめられているので、過去のインドの状況が感覚的に理解しやすい。



インドについての視点も素敵で、パキスタンやイランと違う面をおもしろくとらえています。

<298ページ インドで より>
不滅悠久の観念を讃え、永遠への回帰を常に指向しながら、インドは年毎に変っていく。ヒンドゥー教の主神ヴィシュヌは、創造と保存の神、もう一つの主神たるシヴァ神は破壊を業するという。創造と消滅、不変と変化とが無限に繰り返され共存していくところ、その中心こそがインドである。そういえば、シヴァ神は破壊ばかりでなく再生をも司るのだ。

「そういえば」以降が、本当にそういえば、なのがいい。



「中世以降のインドにおけるイスラム神秘主義スーフィーズム)の成立と展開、さらには民衆レベルにおけるイスラム教のありかたを考察する」という課題に取り組んだときの内容もおもしろいです。

<84ページ 聖者に親しむ より>
インドにおけるスーフィー聖者たちは、ふつう「シェイフ」とか「ピール」と呼ばれた。自分の修行場(ハーンカー)を定めると、彼らはそこで、まず粗衣粗食、瞑想と祈禱の生活を送った。インドへやって来た最初のスーフィーたちは、インド人ではない。民衆にとって、彼らの説く唯一絶対の神の名も、初めて耳にするものだった。だが、その生活様式や行動は、言葉や衣服、容貌から受ける少しばかりの印象を除けば、日頃見慣れたヒンドゥーの行者たちとそれほど変わらぬものだった。


(中略)


自給自足、自ら猫額大の畑を耕し、俗を退け、ひたすらに修道に専念したピールもいた。しかし、現存する遺蹟から推定すると、大方のスーフィー聖者たちは、その宗教的実践の拠点を、直接、市街地の中かまたは城壁の直ぐ外側の地に選んでいる。一部のスーフィーたちは、異教徒の注目をあつめ、その好奇心を引きつけることを、始めから計算に入れているのである。考えてみれば、宣教者としては当たり前のことだ。

このあと、「場合によっては、難解な思想の上部構造は民衆には無縁、何が彼らを引きつけたかに注目するほうが<学問的>である」とある。「イスラームの伝播とマーケティング」という視点のお話が聞きたい! とリクエストしたくなる流れでした。


<92ページ 聖者に親しむ より>
「人間の完成は、次の四つのことにかかっている ── 僅かしか食べない、僅かしか喋らない、僅かしか眠らない、そして僅かな人としか交わらないことである」


これは、十四世紀前半のインドにおける初期のスーフィー文献に記されたチシュティー派の指導者的聖者シェイフ・ニザームッディーンの言葉である。<四つの大切>というわけだが、このうち「僅かしか眠らない」ということの真意を、ある聖者に尋ねてみた。たっぷり眠る時間があったら、その分だけ祈りと修道とに時間を費せという意味だと、彼は説明してくれた。私は、なるほどと納得した。

この<四つの大切>は、よくここまで絞り込んだなぁという要約で、わたしも大好きな教え。



この本は旅行記だけど、インドの文化史を学ぶのにすごくよい一冊です。たとえば「結婚」についての記述では、三人の重要人物の状況を並べてこのように書かれています。

<135ページ 結婚の自由 より>
かつてのインドでは、早婚はおろか、<幼児婚>までが当たり前のことだった。あのマハートマ・ガンディーも、十三歳の高校在学中に、同じ歳の娘と結婚させられている。それについては、「こんな非常識な早婚を支持する道徳的な論拠を、私はどこにも見出すことができない」と、マハートマ自身、のちの自叙伝の中で書いている。
いわゆる不可触民の解放運動で知られるそのガンディーと生涯の間対決した、被差別階級出身のアンベードカルは、独立後のネルー内閣の法相になった人物だが、十七歳になるかならぬかの年齢で結婚させられ、しかも、その相手は僅か九歳だった。
哲人と言われた元首相ネルーとなると、近代西欧の影響を受けた家庭に育った<上流階級の家庭のお坊ちゃん>だけのことはあって、結婚したのは二十七歳の時である。もっとも、右に紹介した現代インドの三人の指導者の結婚相手は、揃って同じ宗教、しかも同じヴァルナ(種姓)出身の女性である。
だが、そのネルーの元首相の一人娘、つまり一世代あとの、今のインディラ・ガンディー首相となると、大分違ってくる。彼女の相手は、ネルー家とは親しかった一族の息子のフェーローズ・ガンディー(マハートマ。ガンディーとは全く無縁の他人)という人物だが、家は、もともとはペルシアから移住して来たゾロアスター教徒の出身ん、しかも、スイスでネルー夫人を看病する間に実った恋愛の結果らしい。
バラモンの名家ネルーの一人娘が、全くの異教徒で先祖はイラン出身とされる異民族の男と結婚したことには、さすがにヒンドゥー保守派から反対の声が挙がった。マハートマ・ガンディーの手元にも、「怒りや罵倒の手紙」が届いたという。その時マハートマは、「結婚によってどちらかが改宗するという考えには強く反対して来たし、今も反対である」と、機関紙上で、はっきりと言い切っている。

ガンジーとアンベードカルに加えてネルー親子も含めて状況を並べられると、とてわかりやすい。マハートマ・ガンディーは自分の子供が異なるカーストの人と結婚したがったとき反対した、というエピソードを以前本で読んだけど、こういう背景も関係あったのかな。



同じ流れで、別の章「ガンディー再感」の内容も深いので、一部を紹介します。

<231ページ ガンディー再感 より>
ガンディーの体験の中には、人種や民族の歴史的条件や状況の差を超えた人間個人、そして人間の作る組織や集団の意味やその間の関係についての根元的な問題がある。


(中略)


(アンベードカルとの関係をダイジェストで述べたあと)
この二人の意見の相違は、もっと詳しく書かないと、一般の読者には分かっては頂けないと思うけれども、差別者と被差別者、加害者と被害者、抵抗運動の指導とその方法、同じ目標を掲げる組織内の内部対立などという、私たちが今日どこでも抱えている事柄に関わる問題を含んでいる。

わたしがガンジーとアンベードカルの関係に夢中になったのは、まさにここにある通り。(気になる方は、「本棚」リンクから山際素男さんの本を読んでみてください)



この本を読むと、タゴールの詩も読みたくなります。いくつか紹介されているのですが、これはグッときた。

<153ページ ガジュラーホからコナーラクへ より>
(コナーラクのさびれた廃墟の説明に添えて紹介されている詩)


崩れ落ちた廃墟の寺の神よヴィーナーの絃は絶たれて、もう、あなたの讃歌を奏でることもない
あなたの祈りの時を告げる夕べの鐘の音も、もう聞えはしない
あなたをとりまく大気は、ただ静かに、そして動かない


けれど、あなたのさびしい住み家にも、春のそよ風がおとずれてくる
それは花を運んでくれる
花を、たとえ、それはあなたへの供物としてでなくとも

(ロビンドラナート・タゴール / 山室静 訳)

人間から神に贈る詩。ギーター返しで微笑みがえし。



グローバル化ということについて考える時、この本が書かれた時代にこの感覚はすごく重かったであろうなぁ、と思う記述があった。

<236ページ ジャワーハルラール・ネルーの生活 より>
今日の日本人には、中流以上の人間の生活だけが問題なのだろうか。いずれにせよ、アジアの民衆の理解という点では、今の私たちち日本人の意識の中に潜んでいるアジア人としての<断層>が、時に致命的であるように思える瞬間がある。

この章では、ネルーの国際感覚とならべて、インド人が「日本はアメリカニズムに骨身までしゃぶられてしまっている」と批判する状況について掘り下げられています。



紹介したい箇所がすごく多い一冊なのですが、「ムガル最盛期の女性像」の章は「ベルばら」的な歴史スキャンダルと文化を重ねて説明されています。ここは長い章なのだけど、おもしろくて夢中になって読みました。
学べる旅行記として、おすすめです。

インドとまじわる (中公文庫)
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