先日、ヨガの練習にはじめて参加された方がほかの人を見て「こんなふうにできるようになると思えない」とおっしゃって、その感じを懐かしみながら「できる・できないはあんまり気にならなくなる。また違う楽しみが増える」という感覚の話になりました。
ヨガは自分の感覚の解像度の粗雑さと微細さの行ったり来たりを、マットの上で動きながら感じます。
行動範囲をヨガマットの上に限定して、いったん柵の中で動いてみて、同じ解像度の粗雑さと微細さの往来が日常の中にもあることに気づく行為です。
この日もそんな感覚の話をして、「それではまた」と練習が終わりました。
日常への延長の例として、以下の雑談をしました
- カレーの種類と発汗の関係に興味が湧いてくる
- とっさの出来事への心の動揺と身体反応がわかる
- 頭痛とプレッシャーの関係性がわかる
- 汗臭さの場所の変化がわかる
カレーを食べてかく汗の種類やパターンが違って見えてくる
わたしはどこでもよくインド料理屋さんへ入るのですが、以下のように汗で覚えることがよくあります。
- 背中全体があったかくなる
- 後頭部の頭蓋骨の下部をなぞるラインで汗をかく
- 頭皮とこめかみを中心に汗をかく
唐辛子は下を通じて胴体に、わさびは鼻を通じて頭蓋内に、というのを普段の食事の経験で感じるのと同じように、もう少しだけ解像度が上がった感じになります。
皮膚のここから汗が出るなぁ、と観察して全身で味わって楽しみます。
前に銀座のナイルを「後頭部の毛穴が開く、頭が疲れているときにおすすめのカレー」と紹介したことがあります。
心の動揺で毛穴が開いたときの汗と体温の変化が見えてくる
上記と似ているのですが、わたしはウェッジソールのサンダルを履きません。
右の足首が特定の角度で傾きやすくて、一瞬クキッとなりやすいためです。
クキッとひねったけどサッと反応して直してまた歩き出す。
歩き出せてはいるけれどもその一瞬の焦りで頭皮がピリピリして、それの拡がりによって心がプチ・パニック状態になります。
(この足首の角度については、マリーチ・アーサナDをしながら観察するとよくわかります)
頭皮につられて全毛穴が反応します。音楽のように、心の動揺と毛穴が連動します。
これにホルモンバランスの変調が重なると、びっくりするほと汗が出ます。水道の蛇口を全開にして、締めようと思うまでに一瞬呆然とする。そういう「間」が生じてきます。
これも音楽の中に「間」が加わる感じと似ています。
これについては、ヨガで観察眼を育む練習をしておいてよかったなと、40代の後半から特にそう思うようになりました。
頭痛とプレッシャーのパターンが見えてくる
頭痛のときは、血流と痛みの連動が感じやすくなります。
わたしは鎮痛剤を飲む前に、以下のどれかなと観察します。
- 停滞・鬱屈性のもの。それを受け止めたことによるもの
- 重圧に応じた、それを押し返したことによるもの
- 生理痛のようにホルモンバランスと連動するもの
- 思考や心配事と連動するもの(歯の噛み締めとタッグを組みやすい)
- 風邪のように内部抵抗のはじまりの段階としての頭痛
3、4、5は比較的わかりやすいです。
よく「気圧が・・・」と言っている人がいるのはたぶん1で、2については以前書いたことがあります。
慣れない頼まれごとや人前に出たり新しいことにチャレンジするときの頭痛は、社会的成長とトレード・オフ。
頭痛は社会の中で責任を受け止めて行く限り発生するもので、3は脳と子宮、4は脳単体、5は内臓に関係します。
「なんかだるい」は1と5、1と3のセットになっていたりします。
2と4がセットの場合もあります。これは、頑張ってきた証拠ってことでいいんじゃないでしょうか。
汗臭さの場所や性質が見えてくる
長年ヨガをしていると、「若い頃はここが汗臭かったのに、最近はこっちなの」と、身体地図を語り出す人が登場しはじめます w
わたしも、股関節 → 膝 → 鼻の下(鼻の下を伸ばすとその皮膚の間の匂いが感じられる)→ 頭皮 → 胸元というふうに、観察できてしまう部位が増えて、増えるたびに楽しんできました。
ゆっくり後ろでんぐり返しをすると、自分の後頭部の残り香を嗅ぐことになり、ダウンドッグで綺麗に背骨が伸びるほど、胸元の匂いがまっすぐ上がってきます。
わたしはこういう瞬間に「自分は動物だ」と感じて、頭の中だけでこしらえた想像上の人間ではない感覚が増えて、自分の存在の捉え方が安定します。
よくよく考えると、ありえないところに鼻先を置くのがヨガとも言える。
そもそも、やってることがオカシイ w
以前は白地図だった
わたしが「なんかグーグルマップでプラスのボタンを押して寄ってく感じなんですよね」と話したら、「そう! なんか前は白地図だったんですよね」とおっしゃる方がいました。
ヨガはポーズを練習する間に、自分の身体内の地図が書き込まれている感じを味わうのが楽しいし、ねえねえここにこんな景色が見られる道があるよと、その景色を一緒に楽しめる時間です。
別のボディの中に、同じ道がある。
身体にメスを入れて解剖しなくても他人とこういう話ができるのは、わたしにとって最上級のエンタメです。
人間として話せる機能を持って生まれて、こんなに楽しいことってないから。
胸の谷間からまっすぐの位置に鼻の穴があるんだから、そりゃそうだ w
▼だから気楽にやればいい。わたしのヨガはこちらです