うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

質問の成分

先日に続いて『密教的カウンセリングの理論と実践』(高野山真言宗切幡寺の藪崇史 師)を読んで「ああなるほどなあ」と思ったことを、今日はよくあるヨガ・シーンを題材に応用してみます。


「来談者からの質問」という項目のなかにあった教えから。
以下引用

質問する側の気持ちを整理しておくことにいたします。質問とは情報や知識を得るために行われると思いがちでありますが、そうとは限らず、質問という形で何かを伝えようとしていたり、確認を求めたり肯定して欲しい時の気持ちの現れでもあります。


一、知識を得る。(知らない人が知っている人に聞く正当な依存)
二、欲求・依頼・動機を伝えるため。
三、不安や恐れなどの気持ちを伝えたい。
四、支持・保証を得たい。
五、安心のための確認を得たい。
六、相手を試したい。


などが考えられます。

ここを読んでいて、なんとなく、自分が保険のセールス・レディになっている立場を想起しました。
このテキストではこのあと、「ではどのように答えるべきか、質問に答えるときの問題点と留意点を整理しておくことにいたします」として、題材に「男と女は分かり合えないのですか」という質問があげられています。
このあとのパターンの説明がとても深いのですが、今日はここを「ヨガのはじめにありがちな質問フレーズ」に題材を置き換えて勝手にわたしの想像と回答を展開します。



質問は、こう仮定します。



 
 「体が硬いのですが」




以下、わたしなりのバリエーションです。



■一だと思った場合:知識を得る
吐く息で腹を引き、吸う息で胸の裏に入れていく。吐くときはできるだけ雑巾をしぼるように、みっちり吐くんです。ここが、ストレッチとは違うところです。


■二だと思った場合:欲求・依頼・動機を伝えたかった
やわらかくなりたいのですね。では、できるだけわたしの経験上で学んできた近道を伝えるようにしますね。わたしも、あなたのやわらかくなりたい気持ちにおこたえしたいですから。


■三だと思った場合:不安や恐れなどの気持ちを伝えたかった
このままだとどんどん硬くなるんじゃないか、将来不健康なことになるんじゃないか、不安ですものね。わかります。やりましょう。怪我をするようなものではないですから、安心して「できない感じ」「できるようになっていく感じ」を楽しみましょう。


■四だと思った場合:支持・保証を得たい
大丈夫ですよ。やらないよりはやったほうが柔らかくなるのは、ゼロかイチかの絶対的な違いで、イチを重ねればそれなりになっていきます。一緒にやりましょう。このことの大切さに気づいただけでも、昨日よりは確実にいい方向へすでに一歩進んでいます。よかったですね。


■五だと思った場合:安心のための確認を得たい
グイグイやらなければ、身体に負担をかけるような運動ではないですから、ゆっくりやれば怪我をすることはないし、別に昨日今日やわらかくならなくたって、生活に支障はありません。やってもやらなくても、まあ別にどうってこともないもので、別に必要なことでもありません。やってる人はやっているというだけのことです。


■六だと思った場合:相手を試したい
まあ、とりあえず今日いっしょにやってみましょう。ここまで来たんだし。わたしが一緒にやりますからね。




もっとヘビーな題材も考えられますが、もしそうだったとしても

  • やらないよりは、やったほうがいいものだとわたし個人は思っています
  • そのやる気、受け止めます
  • ゆっくりやれば、怪我はしません
  • わたしがここにいます


ヨガのアーサナの場合は、この要素のブレンドかと思います。(瞑想の場合はまた話がちょっと違ってきます)
たとえ答えの要素は少なくても、それでも「やりましょう」にはバリエーションを持っていたほうがいいんだろうな。
そんなことを思いました。