楽しく読みました。
こういうのは「質問が愚問であるほど盛り上がる」というのが鉄板のセオリーなんだけど、設定の役割分担が徹底できていて、よいです。後で質問のおさらいがあったりして、ちゃんと読了させようとする流れになっている。ナイス・カリキュラムな構成。
愚者が覚者になったら続編が展開できないので当然持ち越す流れなんだけど、その建て付けまでもがおもしろい。
設定はシンプルなんだけど、編集エンタメ目線の吐露がちょいちょい入るから、場が締まる。最後はもう吐露じゃなくなっちゃって、作家と編集者みたいな、まるで神保町の喫茶店での会話のようになっている。
前半は思いっきり親鸞です。
なんだけど、ちょいちょい、「えー!このひと(もとい、神)、自分でこんなこと言っちゃってるのー?」という「崩し」が入る。
すごい解答で斬りまくるのではないリズムで、ときどき読み手に「大丈夫? 観客として楽しんでる? 多少ヒくとこは普通にヒいてね」と距離をとってくれるような。
どんな状況で読むかにもよるけど、あえて現代っ子っぽくいうと、「デーブ・スペクターってたまにすごくいいこというけど、あのちょっと信用できない感じがたまんないよね」というような雰囲気に包まれた神様エンターテインメント。
こういうところはさすがアメリカ、と思う。
よく売れた本らしいので読んだことのある人も多いであろう前提で、「わたしのツボは、ここでした」という部分を紹介します。
■第1章より
(「欲求を陰で支えている思考」=「望みはかなっていない」という思いで、そちらのほうが現実になるという説明のあと、つづけて)
(神)神があらゆる求めに応じてくれると信じるのはむずかしいが、そもそも求める必要はないのだと直感的にわかっていれば、祈ることはずっとやさしくなる。そのとき、祈りは感謝の祈りになる。求めるのではなく、望みがかなっていることをすなおに感謝するようになる。
(著者)祈りとは、望みがかなっていることを感謝することだとしたら、神は何もしないいのですか? 祈りのあとで起こることはすべて、祈りという行為のおかげなのですか?
人間の考え、言葉、行為のすべては、(愛か不安か)どちらかの感情がもとになっている。ほかに選択の余地はない。これ以外の選択肢はないからだ。だが、どちらを選ぶかは自由に決められる。
自由を説いています。
大きな意味では、「悪い」ことはすべて、あなたがたの選択の結果として起こっている。間違いは、それを選んだことで
はなくて、それを悪と呼ぶことである。それを悪と呼べば、自分を悪と呼ぶことになる。創造したのはあなただから。
人に価値観をゆだねながら、悪の定義を選ぶことについて。この本を読むと、「親鸞は日本人としてすぐれた表現者だったのだなぁ」としみじみ感じたりする。
あなたがたは、外部の出来事を変えることはできない(出来事は多数によって創造されており、集団的に創造されたものを個人で変更できるほど、あなたがたの意識は成長していない)。だから、内的な経験を変えるしかない。これが、生きることの王道である。
ずっとこのことを言っているのだけど、ここがいちばんストレートな表現じゃないかな。
■第2章より
あなたが真実だと思っている価値判断のなかで、体験にもとづいたものはごくわずかしかない。あなたがたは体験するためにこの世に生まれ、その体験を通じて自分を創りあげるはずだった。ところが、他人の経験から自分を創りあげている。
先に引用したところの別表現。
価値観をひとつずつ検討しなさい。外の光にあててみなさい。世界に向かって、自分が何者か、何を信じているかを、ためらわず、はっきりと言いきれるなら、あなたは幸せだ。
この本は、真理を説くような表現よりも、ソリューション表現が良い。寺山修司っぽい。
■第5章より
決して執着しない。わたしの喜びは創造にあるのであって、その結果にはない。悟るとは行為を否定しようと決意することではなく、行為の結果には意味がないと理解することである。この二つには、大きな違いがある。
チベット仏教のよう。
■第8章より
人生には、ほんとうの自分ではない面を示すことで、ほんとうの自分を証明することを要求されることが何度かある。
(中略)
あなたはなにを悪と呼び、何を善と呼ぶかで自分自身を定義する。
最大の悪は、どんなものも悪ではないと宣言することである。
なんども登場する言い換えの中でも、流れ的にキレのよいところ。
■第11章より
根になる考え、つまり支えになっている考えをいちばん速く変える方法は、「思考 ─ 言葉 ─ 行為」というプロセスを逆転させることだ。
「急がば回れ」をアメリカ人に刺さる書き方にすると、こうなるのか、なるほど。と膝を打つ表現。
■第12章より
身体は魂に促されて何かをするか、魂に反して何かをする。人生の質はこのバランスによって決まる。
魂は永遠に在るものだ。身体が何をしようとも、魂は在るがままに存在する。
あなたが、人生とは「行動すること」だと考えているなら、自分を理解していない。
あなたの魂にとっては、暮らしのために何をするかなどはどうでもいい。人生が終わるとき、あなたもどうでもいいと思うだろう。魂にとっては、どんな行動をするかではなく、その間どんなふうに在るかだけが大切だ。魂が追求しているのは在り方であって、何をしているかではない。
ラマナ! なんだけど、女子は「行動することが生きることである」でもいいと思うよ。
これ女の神様じゃないから。
この本のいいところは、シンプルなタイトル。法則だの秘密だのといわない。
「おのれ信仰ライフハック」になっていないところが、いい。ここが最高にあたたかいところではないかな。
「疑いながらも、楽しめるかな? 楽しむ力はあなたのなかにある。なぜならそれを創造したのはわたしだからだ」というユーモアに包まれた、よい成功例と思います。