うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

パラマハンサ・ヨガナンダとの対話 スワミ・クリヤナンダ 編

このブログに「あるヨギの自叙伝」をきかっけにたどり着いたという方もけっこういらっしゃるのではないかと思うのですが、この本はヨガナンダ師が師になってからのログ本。自叙伝のほうは、また別の趣。師になってからの言葉を読んでから自叙伝を読んでも面白いと思います。ググッと親近感がわきますよ。

この本は巻末の訳者あとがきによると、身近に仕えた弟子の著者(スワミ・クリヤナンダさん)が、師の晩年の説話、聴衆とのやりとり、弟子による質問と回答をまとめたものだそうです。誰もが抱きそうな疑問や質問が、開放的なアメリカ人独特の率直さで投げかけられることで、巧まずして興味深いFAQを構成することになった、とあります。
実際読んでいるなかで、第10章の「カルマを克服する」に、「ヨガナンダ師がアメリカという国について思うこと」の言及が出てくるのですが、わたしにとってはここが今回の一番の見どころでした。わたしはヨガナンダさんの師匠のスリ・ユクテスワさんが大好きなのですが、ユクテスワ師がヨガナンダさんをアメリカへ行くように指南したのは、ヨガナンダさんがアメリカ人の気質に気づき、導くことができるパーソナリティを持っていたこと、相性がよいであろうことに気づいていたからなのでは? と思いました。ヨガナンダさんは、アメリカ人が好みそうなシンプルなたとえが上手だし。

さっそく、メモを紹介します。

<10ページ 第1章 唯物主義の愚かさ 1 より>
 真実は、ただ真実として存在します。多くのひとが認めるから存在するわけではありません。真実とは、個人一人ひとりに内在する永遠なる真我のなかで体験されなければならないのです。

この短いセンテンスに、この奥行き。



<35ページ 第3章 宇宙の本質は夢 12 より>
「どうして地球は太陽から離れて飛んで行かないか知っているかな?」新しい弟子に向かってヨガナンダが問いかけました。
「太陽の引力が捉えているからです」そう弟子は答えました。
「では、どうして地球は太陽に引っ張り込まれてしまわないのかな?」
「地球には遠心力が働いていて、それが中心から外へ逃げようとする力になっているからです」
 師は、ひとり微笑んで、その話をやめてしまいました。それから何ヶ月かして、その弟子は、はたと気づいたのです。師は、神を太陽に、人間を地球に喩えて、神はすべてのものを自らのもとへ引き寄せているのに、人間は地上の欲望を追い求めて、神の引力からいつも逃れようとしていることを示唆していたのだと気づいたのです。
 パラマハンサ・ヨガナンダは、この世の多忙を理由として、神の引力に逆らうべきではないというヒントを与えていたのです。

これぞヨガナンダ節!



<第4章 魂と神 3 より>
 神は電力です。そして人間は電球です。電球は形、色、明るさで数えきれない違いがあります。しかしそれらを実際に輝かせているパワーはすべて同じです。
 ひとは見かけに騙され、『あの人はなんて美しいのでしょう。なんてきれいな髪でしょう。彼女の素晴らしい微笑みをご覧なさい!』と言います。
 でも、部屋の電源が切られたとき、電球のもたらすあの色、あの輝きはどこに行くのでしょう。あなたの中にある、またあなたの周りのものすべてにひそむ、パワーの真の源泉を決して忘れてはなりません。

電波ネタが多いところも好きです。



<第4章 魂と神 7 より>
「自我(エゴ)とは何なのですか」ある人がたずねました。
 パラマハンサ・ヨガナンダは答えました。「自我とは肉体に結びつけられた魂のことです」

「たまたま今の自分の肉体を着ている」ヨーガを続けていると、少しずつ、そういう感じになってませんか?



<73ページ 第7章 罪とは無知 2 より>
 好色家は、快楽を求めることで、たとえ自分ではパワーを得ているつもりでも、パワーを失います。たとえ自分の渇望する喜びを得ているつもりでも、魂の喜びから切り離されていくのです。最終的に成し遂げるものは、己と他者との間に生じる不調和だけです。

「パワーを得ているつもり」自体がよくわからないのは、うちこが日本人だからか。女子だからか。



<第7章 罪とは無知 12 より>
 決して失敗の数を数えないように。ただ神への愛が深く誠実であることを見なさい。なぜなら、神は不完全さを気にはしていないからです。神が気にしているのは、あなたが無関心でいることです。

親子、師弟、恋人。すべてにおいてのあるべき姿が、そうなのでしょうね。



<115ページ 第10章 カルマを克服する 1 より>
 このように自問してみてください。まず、波の起伏をもたらしているものは何なのだろうかと。それは風です。ひとりでに表面は穏やかになるのです。同様に、心に錯覚をもたらす嵐が鎮まれば、作用と反作用の波も自然におさまるのです。
 ですから、しなければならないことは、深い瞑想によって心の波を鎮めること、そして瞑想のなかで、エゴに偏った意識を排除することです。ひとたび、自分が因果の原因になることをやめるならば、錯覚がもたらす波は、外側では起伏をつづけても、もはや影響を与えることはなくなるのです。

やはりココロの話をするときは、自然の教えによるたとえがとってもしっくりいくのです。



<116ページ 第10章 カルマを克服する 1 より>
 バガヴァット・ギーターは、誰も行為(カルマ)から逃れることはできない。つまり行為を差し控えることはできないと教えています。しかしギーターはまた、カルマを逃れるための計り知れないほど重要な方法も教えています。推奨されている方法とは、ニシュカム・カルマ、すなわち、欲望のない行為、つまり、行為の成果への欲求を持たない行動をすることです。もし人が、そのように振る舞うなら、カルマの束縛から徐々に自由になることができるのです。

参考:バガヴァッド・ギーター 上村勝彦訳



<119ページ 第10章 カルマを克服する 7 より>
 いつも真我のなかに住まいなさい。何かしなければならないとき、食べたり、話したり、仕事をするときは、そこから出てきて、また真我にもどっていくのです。
 静かにして活動的、活動的にして静か、それがヨギの道なのです。

最後の行は、おでこに書いておきたい。(見えないじゃんか!)



<121ページ 第10章 カルマを克服する 10 より>
 インドでは、非常に、いや過剰にカルマが強調されます。『カルマだ! それはカルマだからどうしようもない!』と皆が言います。
 ばかばかしい! カルマとはたんなる行為です。為されたことが何であれ、それは、同じ確かさで、もとに戻すことができるのです。
 アメリカ人は、インド人よりもはるかに、すべては可能だという意識をもっています。この地では、多くの人が『やれるものなら、やってみます』とか『たとえ不可能でも、なんとしてもやります。多少時間がかかるかもしれませんが』と言うのを聞いてきました。
『そのうちですか? 今すぐやりましょう!』とアメリカ人は言います。これは、私の大好きなこの国の精神なのです。

ここが、いちばん印象に残りました。



<181ページ 第15章 弟子としての責任 4 より>
 弟子であることには直感が必要とされます。直感なくしてグルの導きを理解することはできません。
 知的能力を過信してはいけません。叡智は真理を知的に理解することでは得られません。また直感的理解は議論で得られるものでもありません。
 霊的洞察力を得るには、グルの言うこと、あなたに求められることを信頼し内側に向かうことが求められます。論理ではなく直感的な信頼が、神の理解への基礎となるのです。

知的な分析が通じないのがグルであったりもするので、本当にそうだと思う。占い師みたいなところがある。イレギュラーなことをしても、みんなを楽しませようとしてやったやんちゃは怒らない。そういう点でわたしは師に恵まれていると思う。



<181ページ 第15章 弟子としての責任 5 より>
 即座に『わたしはやります』と言えるように、自分の意志(マインド)を鍛えなさい。言われたことをどのように完遂しようかと考えるのは、その後のことなのです。というのは、あまり考えすぎると躊躇、混乱そして疑いがやって来ます。ついには、意志の力があまりにも麻痺してしまい、まったく何もできなくなってしまうのです。

わたしの師匠はバランスのポーズで次のステップへ進むとき、「やるか死ぬかヨ。やるしかないネー!」とよく言うのですが、バランスしているときに意思を失ったらできないよ、ってことなんですよね。



<201ページ 第16章 神が賛美される道 9 より>
 創造主なる神に近づくのに、二つの道があります。ひとつは神そのものを、神のあらゆる被造物から峻別する方法です。インドでは『ネティ、ネティ』つまり『これではない、あれではない』と言って切りわけていきます。そうした意識は、ひとが形あるものに執着しないようにするためにはいつも必要とされるものです。
 もうひとつの道は、あらゆるところに神の表現をみることです。
 第一の道は、それ自体、ほとんどのひとにとって、あまりに厳しいものかもしれません。第二の道はずっと甘美なものです。一番よいのは両者の折衷です。

むずかしいこというなぁ、もう。



<222ページ 第18章 瞑想について 13 より>
 瞑想しようと努力しているかぎり、瞑想しようがありません。ちょうど眠ろうとすればするほど眠れないのと同じです。意志の力はじょじょに使われるべきです。そうでなければ、害をもたらすかもしれません。ですから、最初はリラックスすることが強調される方がよいのです。

意思ボリュームのコントロール



226ページ 第18章 瞑想について 21 より>
 曲がった脊椎は覚醒の敵です。瞑想においては、いつも脊椎を真っ直ぐに保ってください。それは生命力が邪魔されることなく流れるようにするためです。
 次に、眉間にあるキリスト意識の中枢に注意を集中してください。そのポイントに深く集中すればするほど、ますます、あなたのエゴが超意識のなかに融けて消えていくのが分かります。

「曲がった脊椎は覚醒の敵です」。はい、メモー。(曲がった脊椎って? という人は、こちら



<240ページ 第19章 一般的助言 15 より>
 人生は多くの浮き沈みをもたらします。そうした外側の波と一緒に気持ちを浮き沈みさせるなら、霊的進歩の礎となる内側の静寂を手に入れることはできません。ですから、感情的な反応をしないよう注意し、好き嫌いの感情を越える必要があります。
 人生で従うべき方法は、また人生で多くの試練の波をうまく航海する方法は、どんな時も、心に平和と喜びをたたえていることなのです。

ふと、サーフィンとヨーガの親和性について思いました。丹田をキーに浮き沈みとバランスする。そんなところがとってもヨーガと似ているんだろうな、と。




なんたって、こむずかしくないのがいいですよ、この本。この教えが2000円。実現したのは紙のチョイスによるコスト削減?
積極的な人は、ぜひ読むといい。消極的な人にも、手厳しくない。たぶん喜ばれるまとまりになっていると思います。

 
▼おまけ ヨガナンダさん周辺
「あるヨギの自叙伝」(パラマハンサ・ヨガナンダ
「人間の永遠の探求」(パラマハンサ・ヨガナンダ
「聖なる科学」(スリ・ユクテスワ・ギリ)
サージェント・ペパーのジャケットに写るヨガ聖者4人の話

パラマハンサ・ヨガナンダとの対話

三雅
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5 ヨガナンダ師の箴言