うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ジョージ・ハリスン自伝 ― I・ME・MINE(第一部)

ビートルズのことを36歳のときのジョージが語った自伝。
過去にビートルズ、ヨガ、ジョージ、ラヴィ・シャンカールマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーパラマハンサ・ヨガナンダといったキーワードで繋がるヨガエピソードをここでいくつか書いています。
もうブログ内検索でも手に負えなくなってきたので、
 ★こちらのGoogleのサイト内検索 を参照してください。


本そのものの話に入ります。
この本の第一部の内容は、妻オリビアのまえがきに始まり、その後はジョージ自身とアップルの広報だったデレク・テイラーによるコメントが続きます。第二部は一転して、ジョージの曲を章立てにして、その解説やエピソード集という構成。今日は、その第一部を紹介します。
ジョージとデレクのコメントが同じ章で交差する箇所は、先頭に名称を入れます。それ以外は、すべてジョージのコメントです。

<序文 オリヴィア・ハリスン(ジョージの妻) より>
 ともに手をたずさえて人生を歩み続けるあいだ、「所有」や「独占」ということ、そして「エゴ」とは何かをつきとめることは、ふたりの意識の中での最重要課題となっていました。


(中略)


 日々の営みの中で、たとえば「あら、あなたのそのお庭、きれいじゃない」と言うと、ジョージは「ぼくの庭ではないのだよ、リブ」と答えたものでした。あのひとはそうやって、わたしたちが純粋に「魂」として存在しているのだということを、あらためて想い起こさせてくれました。その「魂」は砂粒ひとつひとつの中に宿っていて、すべての人のものであると同時に、だれのものでもないのです。そう、「わたしのもの」など存在しないのです。


(中略)


わたしは、今この時代においてジョージほど深く「心の世界」に目覚めていた書き手はいないと思っています。もっとも、ジョージ自身はというと、自分の感情について、すなわち今のこの人生、あるいはこの人生を超えたところにあるさまざまな事物によって引き起こされた孤独感や閉塞感についてきちんと説明しよう、あるいは解明しようと思ったときは、いつもボブ・ディランの詞をかわるがわる引きあいに出していました。
ジョージは幾度となく「もっと言葉を知っていたらなぁ」と言っていました。でもおそらく、この世界に存在するどんな言葉をもってしても、そう、ジョージのボキャブラリーの中で大きな位置を占めていたサンスクリットの言葉やマントラでさえも、あのひとが感じていたこと、理解していたことの深遠さを完璧に表現することはできなかったのではないかと思います。

もう完全にインド人ですよね。そして、ジョージ自体について興味をもつとき、「あのメンバーの中でやっていくには、このくらいじゃないとやっていけなかったのかもね」と普通に思う。どこの中間管理職よりもつらそうなポジションです。ジョージ。
参考記事:ジョージ・ハリスンのアイ・ミー・マイン(I Me Mine)

<69ページ 第一部 第二章 より>
 (デレク)だが全盛期、すなわち狂乱の時代においては、あまりにも膨大な数のファンが押しかけて大騒ぎになり、メンバーが普通の生活を送ることは不可能となった。ジョージも言っているとおり、一九六五年になるころには、人気が出たことへの喜びの気持ちは消え失せていた。ジョージは名声というものを、二度と以前のように好意的に受け止めることができなくなった。

 ジョージ)要するに、戦争のさなかに生まれてたいへんな苦労を経験した人や、「いったいどうなってるんだ」という謎を引き起こす不思議なバイブレーションを感じたことのある人なら、あらゆるものごとの原因がどこにあるのか見当がつくと思う。それは夢、つまり無意識の中にあるのだ。だからぼくは、その日の(あるいは一生の)仕事に追いまくられている人には、「健康飲料でも飲んでリラックスしたほうがいいよ」と言いたい。神経系の緊張をほぐしてやることが肝要なのだ。イライラしたり、よけいなストレスを感じているときには、自分の無意識の中にその原因がある。そんなときに歌を書いてみると、たとえそれが「ドント・バザー・ミー」のような他愛ない曲であっても、意識の奥に背負い込んでいるものがある程度軽くなってくるのがわかる。曲を書くということは、懺悔の告白に行くようなものだ。

マーヤにとらわれない修行を積むヨギのアーサナが、たまたまギターでしたよ。みたいなくだり。

<73ページ 第一部 第二章 より>
(パラマハンサ・)ヨガナンダが一九三九年に行なった講義が、セルフ・リアライゼーション・フェローシップ自己実現同志会)の本に載っている。友情についての話なのだが、その中でヨガナンダは、魂によって引き起こされる「気」と、われわれが感じる愛と憎しみ、それらが魂と魂、ひいては生命と生命を引き寄せるのだと説いている。ほかの人よりもすんなりと、あるいは時間をかけずに知り合える相手は、前世で別の生命を生きていたころから、お互いに知っていたというのである。

過去にポールがヨガナンダ師について語る部分を以下の日記で紹介しています。
参考記事:サージェント・ペパーのジャケットに写るヨガ聖者4人の話

<75ページ 第一部 第二章 より>
自分だけの場所、それはとても大切なものなのに、ぼくらにはまったくなかった。だから運命だけは決まっていたのかもしれない。動物園の猿みたいだ。猿たちだって死んでいく。どんなものでも、自分ひとりになれる場所が必要なのだ。
 それは、他人とのかかわりを考えるときに、避けて通れない問題だ。人は「他人のばか騒ぎ」に巻き込まれやすい。刹那的なものごとにすぐ夢中になる。やがてその状態があたりまえになり、しまいには自分ではどうすることもできなくなってしまう。人生において、堕落や誘惑をできるだけ最小限にとどめようとする努力は大切なことだ。

最後の一文が印象的。

<83ページ 第一部 第二章 より>
 (デレク)イギリスの音楽誌『メロディ・メイカー』の一九七○年代後半のインタビューの中で、ジョージはみずからの持論を誠意ある口調で、あらためてくりかえしている。インタビュアーは決して攻撃的ではなく、どこか心配そうに、「けれど、本当にそれでいいのですか……」という調子でジョージに尋ねている。あなたも、ほかのビートルズのメンバーも、現実の世界から引き離されてはいないだろうか、と。

 ジョージ)現実というのはひとつの観念だ。どんな人にも(もし幸運なら)その人固有の現実がある。だがほとんどの場合、だれかにとっての現実なんて、ただの幻想にすぎない。大いなる幻想だ。いつのまにかみんな「この身体こそが自分である」という幻想を持たされてしまっている。でも、ぼくはジョージではない。本当に、ジョージではない(それは人間界での名前にすぎない)。ぼくは、存在することをやめない、ひとつの生命体だ。今までもそうだったし、これからも変わらない。今はたまたま「この」身体を借りているだけなのだ。その身体だって、変化を遂げている。赤ん坊だったり、若者だったり、そのうちに年老いた姿になり、やがては死んでいく。物理的な身体はなくなってしまうだろう。でも、その奥に何かがある。それこそが唯一の現実なのだ。あとはすべて幻想だ。だれかが「元ビートルズたちは現実から切り離されている」と思っていたとしたら、言うなれば、それはその人の個人的な観念にすぎない。だれかが思っているというだけで、それが真実だとはかぎらない。そうした観念が集まると、いくつもの層をなした幻想になる。なぜ、一生暗闇の中を歩み続けるのか。もし幸せでないのなら、もしみじめな時を過ごしているのなら、ただじっと見つめてみたらどうなのだ。なぜ闇の中にいるのだ。

こういうコメントをすると、「大丈夫か?」と思われてしまうのですね。でもジョージのまわりには、こうして自我へ向き合う中で発せられる言葉を大切にいっしょに紡いでくれる妻や友人がいた。「観念が集まると、いくつもの層をなした幻想になる」って、本当にそのとおりね…。

<105ページ 第一部 第四章 より>
レッスン中に電話が鳴ったので、ぼくはシタールを床に置き、立ち上がって、シタールをまたぐようにして電話のところへ行った。するとラヴィはぼくの足をぴしゃりと叩いて、こう言った。「あなたがまず最初に覚えるべきなのは、楽器に対してもっと敬意を払わなければいけないということです」。シタールではほかにも、やってはいけないことがたくさんある。人さし指にビーズのアクセサリーをつけるのもだめだし、足をだれかの方へ向けるのもいけない。もちろん、恍惚となるようなタバコをふかすなんて論外だ。こういうのはすべて修行の一部とされる。

このふたりの、師弟であり、友である関係は、最高だと思う。
参考記事:初めて買ったマントラCDは、ジョージ・プロデュース

<126ページ 第一部 第五章 より>
 アップルに関しては、ぼくは初めからわかっていた。最初にウィグモア・ストリートにオフィスを構えたときから、サヴィル・ロウに移ってあの狂乱の日々を体験する前から、一九六八年四月にリシケシュのマハリシのもとを離れて帰国したときから、わかっていたのだ。ぼくらはみな瞑想を体験し、安らぎに満ちた時間を過ごしていたにもかかわらず、すべては崩壊に向かい、出口の見えないあやしげな一角へと誘い込まれていた。またしても、それは「他人のばか騒ぎ」であった。もしみんながリシュケシュで「何かをつかんだ」というのなら、もっともっと瞑想に打ち込んでいたはずで、決して騒動の嵐の中に足を踏み入れたりはしなかったはずである。あるいは、ぼくらがもっと本業の音楽以外のことにかかわらねばならないとしたら、瞑想はその助けになってしかるべきだったのだ。そうすれば、アップルはすべての物事をあるべき姿、ありうる姿に変えていくことができたろう。しかし実際には、全員が狂気の渦に巻き込まれてしまった。

このへんは解説をつけようにも書き出すときりがないので、興味のある人は3年前の以下の記事から探索してください。
参考記事:「ビートルズ v.s. マハリシ、仲違いの真実」という記事


予備知識があればあるほと面白い本なのだと思うけど、ヨギにとっては、ビートルズについての予備知識がなくても楽しめる「スワミ自伝」です。
第二部の紹介はこちら

ジョージ・ハリスン自伝―I・ME・MINE
ジョージ ハリスン
河出書房新社
売り上げランキング: 124491
おすすめ度の平均: 4.5
5 最も好きなジョージの曲
4 ジョージ!!
4 本当に正しい翻訳なのだろうか?
5 ジョージの歌が一段と輝き始めるでしょう!
4 「サヴォイ・トラッフル」の謎