うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

蓮華王院 三十三間堂(京都)

蓮華王院 三十三間堂
中学生のときの修学旅行が京都・奈良だったのだけど、二条城と新京極と法隆寺しか行った記憶がありません。
インド人の師匠は京都でいちばんすごいと思ったところがここだと言う。「ブッタがあっちもこっちも、ものすごくいっぱいいたネ! ひとつひとつ、せんぶスゴイね」と。
そして、公式サイトの解説にも「等身大の1000体の観音立像には、必ず会いたい人に似た像があるとも伝えられています」とありますが、この建物のどこかで


 あなたの大切なあの人に似た仏様に、きっと会えることでしょう


という案内を見かけました。
一緒にいたくわくまさんと「もうAKBなんて話にならない母数だね」と話しながら歩きましたが、多くの人が亡くなった戦乱の世の中でのことですから、別にこれだけいれば一体は萌えるでしょ、という話ではなく。
数体のかたまりが「どこどこへ出展中」という不在通知看板を見ると「ユニットで遠征行ってんだ」とか「ソロ活動中かぁ」という感覚で見てしまいますが、「圧倒的ななにか」の表現としてここまでのものを見ると放心してしまう。


 仏様をみている人間より、立ってる仏様のほうが多すぎる。
 圧倒的に、比率がおかしい。
 俗人として生きていることが、かなりアウェー。



(以下、パンフレットから)
・中尊(国宝)は運慶の長男、湛慶が82歳の時の造像。
・等身立像の中、124体は平安期のもので、他の800余体は鎌倉期の再建の折に約16年をかけて復興されたもの。
・「千手千眼観自在菩薩」の制作者は、創建当初は定朝から四代孫弟子にあたる康助やその系統の康慶、運慶らが中心であり、中尊や大部分は湛慶を首班として慶派・円派・院派など当代の作家が総出動。すべて寄木造の漆地に金箔。


「慶派」「円派」「院派」。仏像の新たな楽しみかたを見つけてしまいました。


そしてここは解説がシンプルでよいです。特に英語の解説が語りすぎてなくてよい。

例)聚那羅王像
This statue represents a heavenly musicians figure beating drum.

オーゥ、イェース! って単純に楽しめる。
こんなにアウェーな状況でむずかしいこと言われても、NO WAAAAAAY! ですものね。


「京都へ来たなら、ここですよ」という理由に、多くの言葉はいらないねぇ。と感じる場所でした。