今日は朝公園を走って、昼にヨガをした後、3時ごろから上野の国立博物館へ行きました。今月末から「阿修羅展」が予定されているのですが、いつも特別展の後にほかの展示を見る気力がないので、今日は「常設展を見る日」にしました。
わたしは国立博物館の年間パスポートを持っています。常設展はいつでも見に行くことができるのですが、そうこうしているうちにパスポートを作ってから5ヶ月が過ぎていました。今日は梅も咲いていてポカポカ陽気で、歩いていてとても気持ちよかったです。
今日みたのは、本館・東洋館・法隆寺宝物館の「仏像」にフォーカスし、なかでも「坐像」に多く時間を割きました。今日は自分がなぜ仏像を見に行ってしまうのか、いままで気づかなかった自分の潜在的な探究心の根源に気づきました(大げさだ!)。あとでまとめますよ。
本館で4月5日までやっている特集陳列「仏像の道−インドから日本へ」 は、インド→中国→日本へ伝わってきた仏像の歴史に興味のある人は必見です。ものすごくわかりやすいです。仏像のトレンドも書かれていて、それがおもしろい。「この頃はインド風の手の形(印)に流行が戻った」とか、そんなのが面白い。そうでなくても、見たほうがいい。いいに違いない。本一冊読む以上のよいまとめ(リアル仏像付)。激オシです。
東洋館では、テキスタイルなども多数ある中、仏像のみを見ました。
法隆寺宝物館でも、1階の何室かにまとめられている仏像のみを見ました。
書も見はじめてしまうと、全体が薄れてしまうんですね。うちこのハードディスクはすぐにいっぱいになってしまいますから、無理です。年間パスポートを買ってよかった。
今日うちこは自分の何に気づいたかというと
・立像にあまり関心がない。
・というか、結跏趺坐ひと筋。
・気づくと常に「降魔坐」を探している。
・自分自身が、「吉祥坐」よりも「降魔坐」のほうがラクなので。
・うちこと同じ足首の感覚の仏像だっているんじゃねーの? と気になる。
・仏陀の足首はうちこと逆で左足のほうが柔らかかったのかな。でも、古い仏像は坐法細かく見えるのないし。
・ある時代から「降魔坐」率がいっきに下がる。その頃から「縁起」をかつぐ神道的な要素との融合が強まったのではないかと妄想したり
・あるいは、みんなが持っているから「ヴィトンのバッグ」みたいなこと? と思ってみたり
・技術が伝承されるときに、「こういうもんよ」と。ただそれだけの話かと思ってみたり
といった具合で、「うちこはこっちのほうがラクなのに、なんでみんなそっち側で組むのさ。絶対仲間がいるはず!」という非常に短絡的な理由でした(笑)。
で、今日は仲間に会えましたよ! 法隆寺の大宝蔵院で会って以来かな。そして、仲間はみんな「飛鳥時代の日本の仏像」です。ふうむ。今日見つけたお友達の居場所だけ紹介しておきます。
■本館(1名):特集陳列へ「仏像の道−インドから日本」のなかにある、「塼仏如来坐像」(首はないです) 7世紀・奈良・明日香村
■東洋館(1名):如来三尊仏 8世紀の唐時代・中国 西安 宝慶寺
■法隆寺宝物館(4名):阿弥陀三尊および僧形像 7世紀・奈良・明日香村
法隆寺宝物館は、飛鳥時代の仏像カーニバルみたいになっているのでその変遷をみやすいのですが、8世紀近くになると「降魔坐」が消えていきます。うちこはいまだに、当時の彫師たちが「なんかこっちだと間違いっぽくね? 不良品と思われても面倒だから、こっちにあわせておこうぜ」とか言ってたんじゃないかと思えてなりません。
法隆寺宝物館では、有名な「摩耶夫人および天人像」も見ることができるのですが、全般マンガちっくです。飛鳥時代。
「わきの下から産まれたのダー」(仏陀)
「うそーん」(天人3名)
というフキダシをつけたくなります。もしかしたら、飛鳥時代はとってもユーモラスな時代だったのかもしれないと妄想すると、先の「降魔坐」の話も(しつこいよね)、「たまにはこっち側のも作っておこうぜ。"ウォーリーを探せ"みたいで面白いじゃん」ということだったのかもしれません。ウォーリーのほうが1200年くらい後ですが。とにかくなんだか可笑しいんですよ、飛鳥時代は。
そして、一定の比率で釣瓶師匠がいるんですよ。法隆寺にもいますよ、釣瓶師匠。なんと釣瓶師匠の半跏思惟像が2体セットであるんですよ。宝物館。ポーズは半跏思惟なのに、あきらかに「新橋ガード下」の雰囲気で、しかも頬にふれる右手はピースサインしてるんですよ。「2万かぁ…」みたいな。
ほかのことは、なんだか長くなりそうなので箇条書きにします。メモです。
・インドのニューデリー国立博物館にあるクシャーン朝時代の如来三尊像は2世紀のもので、吉祥坐
・同じくクシャーン朝時代の仏の周りに、おじぎが「ウサギのポーズ」級に丸まっている人発見
・4世紀の中国(五胡十六国時代)の如来坐像は衣が通肩。手は法界定院。
・半跏思惟ポーズな像が何体かあるのですが、なかでも飛鳥時代の「菩薩半跏像」は期待を裏切らず極めてマンガちっく。和歌山県の那智山から出たものだそう。頬に触れる右手が内側を向いていて、厚まぶた。
・韓国の国立中央博物館にある「菩薩半跏思惟像」(7世紀・百済時代)の実物を見てみたい
今日は、夜テレビをつけっぱなしにしていたら、NHKスペシャルが「法隆寺再建の謎」で、うっかり50分かぶりつきで見ちゃいました。
昨年の12月、修復が終わった本堂へ、またあの「顔も長いが足も長い人」が移動したそうです。なかなかもったいつけて見せてもらえないものをテレビで見ることができました。
そして、わたくし九州国立博物館で4月から行われる特別展『聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝』に行きたくなってしまっており、悩ましい。ヨギのミラレパ坐像(ざぞう)が来る! タントリック&チベット医学の香りが満載でありますよ。
そして全般、なんだかふざけた感じの像ばかりですよ。スリランカ展よりさらに笑えること間違いなしな臭いがプンプンします。
これ以外にやりたいことあったかな、九州で…。