うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

養生訓 貝原益軒 著 / 松田道雄 訳

いろいろな人の訳で出版されている、江戸時代(1712年)の有名な健康スートラ。
身体を休めようにも、さて……。と思っていたときに、横になりながら読みました。
特に年配の男性には有名らしい「接して漏らさず」という名言で知られる養生訓ですが、女子にはそれすらもなじみがありませんね。この「接して漏らさず」をハタ・ヨーガ・プラディ・ピカーよりも後に知ったわたしは、知人からこの名言を聞いたとき、「ヨーガは高度だよなぁ。漏らしても戻す。って……」と思ったのですが、今日はそんな話ではなく。
敬老の日に紹介したいと思っていたのです。特に老人と読みたいのは「巻八 養老」。
そして、今の時代だからこそ、一家に一冊というのはここ。

<解説 より>
『養生訓』にある個々の医学的な知識は、今日の水準からみればつたないものもあるだろう、しかし、それは晩年のなかに幸福をとらえて動じない精神の姿を、いささかもゆるがすものでない。

老いがあたたかいものであるための、心の話題が五木寛之さん頼みになりすぎているよ日本。と思いまして。

<解説 より>
 私たちは解決の困難な問題にぶつかったとき、解決を未来に託した。そしてその未来は地球資源の開発にどこかでつながっていた。
そこには地表資源の無限性の信頼があった。しかし、地表資源は案外に底のあさいものだった。
 かぎられた地球のなかで、生物学的な平衡をたもちながら生きていくためには、欲望の無限の肯定では、やっていけないことがわかってきた。こうなると、鎖国の状況のなかで一国平和主義を三百年もたもってきた私たちの祖先の生き方も、考慮のなかにいれなければならない。

この松田道雄氏訳の初版は1977年なのですが、「鎖国の状況のなかで一国平和主義を三百年もたもってきた私たちの祖先の生き方」と言われるとまた、なお沁みる。


全部で八巻、476項目が訳されているスートラの中から、メモしたいと思った「訓」を厳選して19、紹介します。
男性に興味深いであろう箇所は、うちこには別に興味深い記述ではなかったのでメモしていません。気になる人は買って読んでください。


■巻一 総論・上

<内欲と外邪と>
 養生の術は、まず自分のからだをそこなう物を遠ざけることである。からだをそこなう物は、内欲と外邪とである。内欲というのは、飲食の欲、好色の欲、眠りの欲、しゃべりまくりたい欲と、喜・怒・憂・思・悲・恐・驚の七情の欲のこと。外邪とは天の四気である。風・寒・暑・湿のことである。内欲をこらえて少なくし、外邪をおそれて防ぐのである。こうすれば元気をそこなわず、病気にならず天寿を保つだろう。

「しゃべりまくりたい欲」がしっかり定義されているのがすごい。

<内欲をこらえる (後半)より>
ふだんから元気をへらすことを惜しんで、言語を少なくし、七情をほどほどにするがよい。欲を抑え、心を平らかにし、気を和(やわ)らかにして荒くせず、静かにしてさわがせず、心はつねに和楽でなければならぬ。憂い苦しんではならぬ。これみな内欲をがまんして元気を養う道である。また風・寒・暑・湿の外邪を防いでまけないようにする。これら内外のいろいろの用心は養生の大事な項目である。これをよく用心して守らなければならぬ。

言葉狩り」のニュースだらけの今、なお刺さる。

<元気をそこなう>
 養生の害になるものが二つある。一つは元気をへらすことで、第二が元気をとどこおらせることである。飲食・色欲・運動が過ぎると元気はやぶれてへる。飲食・安逸・睡眠を過ごすと、とどこおってふさがってしまう。へるものもとどこおるのも、みな元気をそこなうものである。

「運動が過ぎると元気はやぶれてへる」。「やぶれる」という表現がすごくよくわかる。

<心を安らかに>
 心はからだの主人である。この主人を静かに安らかにさせておかねばならぬ。からだは心の下僕である。動かしてはたらかさねばならぬ。心が安らかで静かだと、からだの主人たる天君はゆたかで、苦しみなく楽しむ。からだが動いてはたらけば飲食したものはとどこおらず、血気はよく循環して病気にならない。

貝原さんて、インド人じゃないの? ほんとに日本人?

<内敵と外敵と (前半)より>
 およそ人間のからだは、弱くもろくはかない。風前の灯火の消えやすいようなものだ。あぶないことだ。いつも慎んでからだを大事にしたい。まして内外からからだを攻める敵が多いのだから、気をつけねばならぬ。まず飲食の欲、好色の欲、睡眠の欲、または怒・悲・憂をもってからだを攻めてくる。これらはみな自分のからだの内からおこって攻めてくる欲だから内敵である。

内敵。あなたのなかの、わたしのなかの、暴れ馬。

<気血のとどこおらぬよう>
 陰陽の気というものが天にあって、流動してとどこおらないから春夏秋冬がうまくいき、万物の生成がうまくいくのだ。陰陽の気がかたよってとどこおると、流動の道がふさがって冬が暖かで夏が寒くなったり、大雨・大風などの異変があったりして、凶作や災害をおこす。人のからだでもまたそうだ。気血がよく流動してとどこおりがないと、気が強くなり病気にならない。気血が流動しないと病気になる。その気が上のほうにとどこおると、頭痛やめまいになり、中ほどにとどこおると心臓や腹の痛みとなり、腹がはり、下のほうにとどこおると、腰痛・脚気となり、淋疝(りんせん・排尿病)・痔漏(肛門周辺の疾患)となる。このためよく養生しようとする人は、できるだけ元気のとどこおらぬようにすることである。

「陰陽の気」を持ち出されると、もう何もいえない。



■巻ニ 総論・下

<気をへらさぬよう>
 人に対して、喜びと楽しみとをひどくあらわすと、気が開きすぎてへる。孤独で憂いと悲しみとが多いと、気がむすぼれて塞がる。へるのと塞がるのとは元気の害になる。

これ養生訓カレンダーつくるなら絶対欠かせない。文字数的にも、いい。

<唾液を大事に>
 唾液はからだ全体のうるおいである。変化して精血(血液の純粋なもの)となる。草木に精液がないと枯れる。大切なものである。唾液は内臓から口の中に出てくる。唾液は大事にして、吐いてはいけない。ことに遠くつばをはいてはいけない。気がへる。

たしかに口の中が乾くときって、エナジーがローな感じがする。でもそのアンテナ一本、最後な感じは感度が上がっている気もする。

<動と静と>
 人間のからだは、気をもって生の根源、命の主人とする。だから養生をよくする人は、いつも元気を惜しんでへらさぬようにする。静かにして元気を保存し、動いて元気を循環させる。保存と循環の二つが備わらないと気を養えない。動と静とがその時を失わぬというのが気を養う道である。

積極的な「静」もあるよと。



■巻三 飲食・上

<五味偏勝とは>
 五味偏勝とは一つの味を食べすぎることをいう。甘いものが多すぎると腹がはっていたむ。辛いものがすぎると気がのぼり、気がへり、湿疹ができ眼が悪くなる。塩からいものが多いと血がかわき、のどがかわき、湯水を多く飲めば湿を生じ、脾胃をそこねる。苦いものが多すぎると、脾胃の生気をそこねる。酸いものが多すぎると気がちぢまる。五味をそなえているものを少しずつ食べれば病気にならない。いろいろな肉も、いろいろな野菜も、同じものを続けて食べるととどこおって害がある。

「酸いものが多すぎると気がちぢまる」って、なんかわかるなぁ。



■巻四 飲食・下

<外国人と日本人と>
 中国や朝鮮の人は脾胃が強い。飯を多く食べ六畜(馬・牛・羊・犬・豚・鳥)の肉を多く食べても害がない。日本人はこれと違って、穀類をよく食べるから、畜肉を食べるとからだを損じやすい。これは日本人が外国人より体気が弱いためである。

外国といってもしれは中国、朝鮮の時代。この範囲でも明確に違いがあると書かれている。


■巻四 飲酒

<酒とともに>
 酒を飲むときに甘いものはいけない。また酒を飲んだあとに辛いものもいけない。人の筋骨をゆるくするからである。酒を飲んだのちに焼酎を飲んではいけない。両方を一度に飲むと、筋骨をゆるくし、わずらい苦しむものである。

「筋骨をゆるく」って、わかるなぁ。あと、これは日本酒と焼酎しか選択肢のない時代。
「ビールはお酒にはいりますかぁー?」「はいりますよぉ」。(先回りして自戒)



■巻五 五官

<心はからだの主君>
 心は人のからだの主君である。だから天君という。思うことをつかさどる。耳・目・口・鼻・体の五つは、聴く、見る、ものを言う・物を食う、嗅ぐ、動くと、それぞれその事をつかさどる職分があるから、五官という。心の使用人である。心は内にあって五官をつかさどっている。よく思考して五官のやっていることの是非を正さないといけない。天君をもって五官を使うのはかしこい。五官をもって天君を使うのは、愚かである。心はからだの主人であるから、安楽にして、苦しめないようにする。五官は天君の命を受け、おのおのの官職をよく務めて、かってなことをしてはならぬ。

もろウパニシャッド



■巻六 慎病

<人には精神病が>
 奇蹟とか、不思議なこととかをたとえ目の前に見ても、鬼神のしわざにきまっているとはいえぬ。人には精神病というのもあるし、目の病気もある。こういう病気があると実在しない物が目に見えることが多い。不思議なものを信じて迷ってはならぬ。

なんでここだけ思わせぶりな見出しなのか少し気になりましたが、マーヤの領域までがっちり網羅。



■巻六 択医

<日本の医者と中国の医者と>
 日本の医学が中国に及ばないのは、まず学問の努力が中国人に及ばないからである。ことに近世は、仮名の治療書が世間にたくさん刊行されている。古学を好まない医学生は、中国の書はむずかしいといって嫌って読まない。仮名書きの本を読んで、医道はこれで十分だと思って、むかしの医道を学ばない。これが日本の医者が医道にくらく、下手な理由である。昔いろは仮名ができたために、世間一般が文盲になったようなものだ。

「世間一般が文盲になったようなものだ」は、人気の加点と集合知の違いがわからなくなりつつあるネットの情報にも同じことが言える気がする。要約されたライフハックが「仮名書き」に近いかな。

<古法を研究して>
 医を学ぶには古法を研究し、博く学び、むかしの多くの治療法について参考にするがよい。また現在の時代の機運を考え、からだの強弱を計算し、日本の状況と民俗の風習や気質を知って、近古わが国の先輩の名医の治療経験を参考にして治療すべきである。古法にもとづいて、いまの時代にうまくあっていれば、間違いが少ないだろう。古法を知らないで、いまの時代にあわそうとするのを鑿(うがつ)という。古法にかかわって今の時代にあわないのを泥(なずむ)という。誤りは共通している。
昔のことを知らず、今のことに通じていなくては、医道は行われない。聖人も「故きを温ねて新しきを知る。以って師とすべし」といわれた。医師もまたこうなくてはならぬ。

「古法にもとづいて、いまの時代にうまくあっていれば」「日本の状況と民俗の風習や気質を知って」。特にヨガの今の状況では、後者がないがしろにされがちと思う。



■巻八 養老

<親を養うには>
 人の子である以上、親を養う道を知らなくてはいけない。親の心を楽しませ、親の志にそむかず、怒らせず、心配させず、季節の寒暑に応じて、居室と寝室とを快適にし、飲食の味をよくし、誠実をもって養わないといけない。

と、いいつつ、老人に対しても

<晩節を保って>
 いまの世間では、年とって子に養われている人が、若い時よりも怒りっぽくなり、欲も深くなって、子を責め人をとがめて、晩年の節操を保たず、心をみだすものが多い。抑制して怒りと欲をこらえ、晩年の節操を保ち、ものごとに寛容で、子の不孝を責めず、つねに楽しんで残った年を送るがよい。これが老後の境遇に適したよい生活である。孔子は、年老い血気衰えたら、ものを得ようとしてはいけないと戒め給うた。聖人の言に敬意を表すべきだ。世間で若い時はたいへん抑制している人があるが、老後になって逆に多欲になり、多く怒り、深くうらんで晩年の節操を失う人が多い。用心しないといけない。子としては、このことを念頭において、父母が怒らぬように、ふだんから気をくばって、慎むべきである。父母を怒らせるのは、子の大不孝である。また子として自分の不孝を親にとがめられて、かえって親が耄碌したと人にいうのは、最大の不孝である。不孝をして父母をうらむのは悪人のよくやることだ。

とバランスをとるこの「ジゴロ感」。落ちる。というか落ちた。


そして

<気を散らさぬ>
 年をとったら、自分の心の楽しみのほかにさまざまなことに気を散らしてはいけない。時にしたがって、自分で楽しまねばならぬ。自分で楽しむというのは、世俗の楽しみとは違う。自分の心のなかに本来ある楽しみを楽しんで、胸中に一物一事のわずらいがなく、天地春夏秋冬、山川のよい眺め、草木の成長の喜び、これみなわが楽しみでなければならぬ。

子供に楽しみを期待するのも「気を散らしていることだよ」ってことなんですね。


この「養老」以降を抜粋して、カレンダーにして、字を片岡鶴太郎氏で……売れそう。

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