写真に「みほん」とシールがあるのは、東本願寺で座り読みしてきたため。
京都へ立ち寄った折に、駅の近くで……と思って東本願寺に入ったら没頭してしまい、絵本を中心に四冊も読んでしまいました。
京都駅の近くといえば東寺なのだけど、そのときも今も東寺本堂の面々は上京中。逆行したのをきっかけに、そんなに興味を持って追いかけていたわけではないのだけれど、いつのまにかその教えが身近になっていた親鸞聖人の生き方。
一箇所だけ抜粋紹介します。
そのころ、お金もちで くらいの高い人たちや役人は、
楽しいくらしができるように
たくさんのお金を出して奈良や比叡山のお坊さんにきとうをしてもらいました。
ところが、びんぼうで その日の食べものもない人、
すむ家もない人、ひとりぼっちのさびしい人たちが、
法然さまの念仏のおしえを聞いて
いきいきと明るく くらしているのです。
それを見た お金もちの人たちは
たいへんねたみました、そしてついにお金もちたちや
奈良や比叡山のお坊さんたちは念仏禁止を朝廷にねがい出ました。
朝廷は、法然さまの念仏を禁止し、
念仏を信じる人たちに重い罰をあたえました。
法然さまは土佐の国、親鸞さまは遠く越後の国へ流され、
また多くの人たちが、ころされました。
親鸞さま 三十五歳の年でした。
お金のながれ、ねたみ、迫害。
「楽」が、お金を出さないと獲られないはずのものとされていたところに新しい価値が生まれたとき、先人たちがやったこと。昔からある心情。
親鸞聖人の生き方には、一貫して「あるものはあるのだから」という「あきらめ」の風のようなもの感じる。
あるものは、あるからねぇ、と。軽やかですらある。あっさりしている。
ねっとりしても、あっさりしても、あるのだから。と、あっさりして見えるのだ。
あるものを滅しろといっても、修行をしても、お金の力にはかなわない人が多いという事実を受け容れるだけ。
また次の場所へ流れていくだけ。
親鸞聖人が男性に人気なのは、妻帯や肉食だけじゃなく、こういうところにもあるんだろうな。
スナフキン的なヴァータ。もちろん女性にもモテたんだろうな。いい体躯だしね。