うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

プラシナ・ウパニシャッド(紹介10:佐保田鶴治 訳「ウパニシャッド」から)

解説に「文学形式上いわゆる問答体の最も壮大な仕組を持ち、作者の文学的意図は余りにも作為的である」とあります。「カタ・ウパニシャッド」でヨーガ味が出はじめて、「〜すべし」的なまとまりが出てくる。「シヴェータシヴァタラ・ウパニシャッド」ではさらに、「これが先代の教えなんだよ」というノリになってくる。初期のウパニシャッドでは「宇宙の原理とはこのようなものであるのだよ」というニュアンスが楽しかったのだけど、教えというものが熟成とともにこういうテンションになっていくのはなぜだろう。と、仕事のオペレーション・マニュアルができていくのを見るような思いで読んでいます。


プラシナ・ウパニシャッドは「問答集」の色合いが前面に出まくっているものですが、今日はその中の「質疑第三 ─ 生気論」からいくつか紹介します。カーウサリア・アーシヴァラーヤナという人が師(聖者ピッパラーダ)に問うた問答なのだそうですが、内容はラリー形式ではなく、ばくっとした質問に対する回答集のような文章構成です。

■肉体内における生気の状態
 喩えば、王がその臣下に向かって『汝は某村落を差配せよ』『汝は某村落を差配せよ』と任命するように、生気も他の諸気をそれぞれ配置するのである。排泄と生殖の両器官の上には、呼気(アパーナ)を配置し、眼と耳及び口と鼻との上には生気(プラーナ・出気)自らが臨んでいる。身体の中央部には等気(サマーナ)が駐在して、供えられた食物を平等にし(消化し)、その(食物)中からこれら七つの光が生ずるのである。自我は心臓の中に駐(とど)まっている。そこ(心臓)に百一本の脈管があり、それらの脈管の一一に百本ずつの血管があり、その一本ごとに七万二千本の支脈がある。これらの脈管の中で活躍しているものは介気(ヴィアーナ)である。次に、上気(ウダーナ)は一本の血管によって上り、善行によって善福の世界へ導き、悪行によっては禍悪の世界へ導き、善悪帯同の行為によっては人間界へ導くものである。

七つの光とは、頭部にある七穴(両眼、両耳、両鼻孔、口)を根拠とする七つの感覚作用のことだそうです(解説より)。
「支配されているのだよ」というニュアンスが強まりつつ、解剖学的に具体的な要素が増えているのが興味深いところです。脈管と血管の話から、「オチ、そこー?!」というのがおもしろいですよね。インド人はものすごく具体的で、楽天的だ。

■内外両界における生気の担任
太陽は実に外界に存在する生気(呼気)であって、この己身における眼中の生気を支持し、人間の内部にある虚空は即ち等気である。風は即ち人間内部の介気である。そして、火(テージアス・光明)は実に内部にあっては上気である。

「眼中の生気」と「虚空即ち等気」という表現が出てくるのは、なんなんだろうなぁ。こういう文章を生みだす人と一度飲んでみたかったと思う。内外観(ミクロコスモスとマクロコスモス)への意識の表現がおもしろい。

■輪廻再生
ここを以て火(生命)の消えた者は、その諸感官を一旦意(心臓)に収めた後に、これらを引き具して再生へと赴くのである。
物を考える器官(意)を伴って、彼(上気)は生気に入る。生気は火(上気)と結合し終わって、自我とともに生前に思慮(サンカルパ)し、意志し、実践したのに相応した世界へと霊を導くのである。

「思慮し、意志し、実践したのに相応した世界」という、ヨーガ聖者の教えやインド哲学でよく見るような表現は、この時点でもうこれだけ具体的に表わされていたのですね。


このウパニシャッドの頃(BC 4年ごろといわれています)にイエス・キリストさんが生まれています。(BC 8年説もあるようですが)

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4 主要13ウパニシャッドの虫食い的抄訳
5 ヨガを日本に広めた先生が書いた本。