まだ九州にいます。今日は仕事で感じたことを忘れないうちにメモしておこうと思います。
今回の出張では、縁あって「クレーマー」といわれる人に会うことができました。
後にも書きますが、「クレーマー」というラベルを貼ったのは、サービスを提供する側のわれわれで、話をしてくれた人が「クレームを言った」と認識しているかはわかりません。
別にヤクザみたいな人ではなく、初老の紳士。人物像はこんな感じの人でした。
- 自分は人間的な会話ができる見識者と認識している。
- なので、自分の立ち位置はこうである。ということをはっきり示せる。
- 指摘対象の人を定めている。
- あなたたちはこちらの気持ちを汲み取った人間的な会話ができない、事務的だというクレーム。
- 待つことや時間をつかうことは苦にならないみたい。
- 関心の矛先は多方面にある。
最後に。
- 話に脚色をする。
これは後でわかったこと。
指摘対象の人間に能力がないことを表現するための創造力がすごかった。
ひとつ、話しながらわたしがずっと感じていたことがあった。
「オリジナル感のある特別扱いという要求はすごく伝わってくるのだけど、これが知りたかったんだ、という項目がつかめない」
その人が話してくれたことは、脚色された途中途中にあらわれるエピソードのデフォルメフィクション部分を除けば、すべて本当だ。
忘れてはいけないことがある。問い合わせを受ける業務のなかで「クレーム」と認定したのは、今回の件で言えばこちら側だ。
たぶん、「創造力」の部分がきっかけだったのだろう。
「この人は、クレーマーなの?」
途中から「特別扱いの希望項目が定まらないなぁ」と感じてはいたけれど、苦言という感じはしなかった。
「期待どおりではなかった」ということと、「期待していることは定まっていません。でも、そっと手を繋ごうとするようなことを、なんとなく期待していたんです」ということなのだろうと思った。
「手を繋ごうとするようなことを、してくれないのは、きっと……」このへんの流れから「創造」がはじまったのではないだろうか。
乙女。
乙女なのである。
クレームをきっかけに上顧客へ、なんてエピソードがあるのは、やっと初めて手を繋いだ日にやることやっちゃったような気持ちの流れではないだろうか。
顧客対応のスキルアップは、歳を重ねてしまってからでは難しいかな。そんなことを思いました。