うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

胸椎5番センサー 頭の疲労と肝臓疲労

最近は以前ほど頻繁にヨガへ行けないのですが、かえって自分の体調がわかりやすくなっています。異変に気づきやすい。
なんだかやたら有給休暇が余っているなぁと思ったらあまり使っていなくて、休んだ後のしわ寄せを思うくらいなら、休まないほうがラク。というペースが続いています。そのかわり、いける週はできるだけヨガをしに行く。


いちばんわかりやすいのは、鋤のポーズから戻るときに床に背骨をひとつひとつ置いていくとき。なんとなく地味にたまった疲労のときは胸椎10番のあたりでわりとまろやかな「痛気持ちいい」があるのだけど、最近は「今日の5番」を調整バロメーターにしています。
胸椎5番に感じるそれはぜんぜんまろやかではなくて、「はいきたー、ここ」というピンポイントな感覚がある。


今期はとくに頭を使っていると思う。ついつい没頭してしまう系の使い方であったり、優秀な部下の話についていくための頭の使い方。がんばるしかない。
肝臓はもうずばり、慣れない価値観の人たちのなかでの調整ごとが多いから。実は「スピードが遅くて」じれている。日本からインドへ行ったときのそれに似ている。これが外国だったらまったく意に関せずなのだけど、鈍化した環境で一生懸命それっぽい満足度を演出して生きている人たちへの思い。そんなのが肝臓にきている。
食物連鎖や弱肉強食になにを感じてもしょうがないのに、つい感じてしまう疲労だ。目くそ鼻くその争いごとなんて放っておけばいいのに、「ただの怒りには生産性がない。解決のために腰を上げるならここから目をそらしたら始まりません」というのを分解して可視化しているから疲れる。でもやる。
生産性のない「怒り発生ベースでの協調同調」を確認するような会話は課金制にしたい、というのが本音だ。でも本当に払われても面倒なので、避ける技術を磨いている。
それでも二人で飲みに行こうと誘ってくる人は、完全に「お店のおねえちゃんに払うお金と労力の代わりに都合よく使おうとしている」と認識しているのだけど、ここについては心優しい男子同僚たちが、今後は空気を読まずに介入してくれるそうだ。ありがたいことだ。
もう「疲れる」といえる余地はなくなっちゃった。
「いいから仕事に打ち込め」という環境が整いまくってしまっている。


うちこは「なんとなく疲れた」という感覚がなくて、「どんな種類の摩擦強度で自分が疲労を多く感じる体質か」をいつも背骨にきいている。背骨はうちこよりも、うちこのことをよく知っている。


(類似日記:頭と心は騙せても、背骨と内臓は騙せない