うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

日本悲しい日、インド楽しい日

今週は土日にインド人の先生に稽古をつけてもらいました。
昨日も今日も楽しい説法(?!)が満載だったのですが、昨日先生がボソリと言った


 8月15日は
 日本悲しい日。
 でもインドは楽しい日ネ。
 1947年に、イギリスから独立したネ。


という言葉が印象的だった。

日本の終戦記念日は、インドの独立記念日
インドの独立は、ちょうど先生が生まれた頃のことだ。
その話の流れで



 NHKは日本は戦争の辛いのばかりずっと見せる。
 もう受信料払うのやめようかな。



とも言っていた。家にいる間はずっとNHKをつけっぱなしだそうで、八代亜紀五木ひろしのナンバーはわたしよりもレパートリーが多い。(ずっとサビがループしますが)



先生の「辛いのばかりずっと見せる」という発言に、ふと思った。
日本の終戦日もインドの独立記念日も、前進への第一歩目の日。
終戦は、呪縛からの解放であった人も多いはずだけれど、そこから本格的な呪縛が始まったということでもある。


なんとなく

 「ずっと見せる」

という部分が、引っかかった。


ああ、先生はそう感じたんだな。光と影の、影にフォーカスする比重が偏りすぎなんじゃないかと。
よく「この事実を風化させないように」という表現がニュースで語られるけれど、風化を防ぐ手段として、印象に残りやすいショッキングな映像を流すことは、まあそれもひとつの手段。戦争体験者の声を伝えることも、ひとつの手段。


たとえばインドを旅すると、インドで子どもの制服が妙にトラッドだったりするところに、植民地時代のなごりを見る。インドのヨガの英文書物を読むときも、イギリス英語だ。
先生も「インドの芸術見たければ、大英博物館に行けばいい。いいものは、イギリスにもっていかれたからね」と言われたりする。とにかく、日常でふと感じることが多いし、日常会話の中でそのニュアンスが普通に残っている。



加害者であった瞬間がある。被害者であった瞬間がある。あったことは、あった。
イエローなジャップは差別される瞬間がある。あることは、ある。
イエローなジャップも、人を差別する瞬間がある。あることは、ある。



なんとなく、仕事をしているときにもよく感じることがある、コミュニケーションの違和感。



 あなたのことを「とやかく」言いませんから、
 わたしのことも「とやかく」言わない感じで、
 そこはまあひとつ。



風化の種は、時間軸だけではなくて、こういう国民性にもあるのではないかな、と思う。
「とやかく」って、「ただの事実」は含まれる?
含む感じなんだよなぁ。



 認識することを継続しないと、身につかない。



これはわたしがヨガに教えてもらったこと。
終戦記念日にだけ映像を流しても、流さないよりはいいけれど、身につかない。
「ただの事実」を日常の中で都度あたりまえに受け止める精神力がないと、ますますみんな、おかしな感じに見えてくる。