うちこのヨガ日記

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すごいインド ― なぜグローバル人材が輩出するのか ― サンジーヴ・スィンハ著

インドは国土が日本の8倍くらいある大きな国。とてもひとことでは語れない。
この本は「すごいインド」というタイトルをつけるだけあって、だんだんモディ首相万歳みたいな内容になっていくのですが、序盤はここ数十年で都市化するところはめきめき都市化しているインドをインド人がどう見ているのか、その感じが自然な口調で語られていて興味深く読みました。
今のムンバイは「私のように80年代にインドの田舎で育った人間にとっては、まさに別の国に来てしまったほどの変化です。」(P88)というふうに見えるそうです。

 

著者は1973年にラジャスターン州のバルメルという町出身で、当時小学校に通っている子どもは半分ほどしかいなかったそうで、このように書かれていました。

 学校の方もかなりいい加減でした。生徒が教室で待っていても、先生が無断欠勤して授業に現われないこともよくありました。先進国ではサボりは生徒がやるものですが、インドでは先生が勝手に休んでしまうのです。
 生徒に配布する教科書を本屋に持ち込んで売りさばいているような教師までいました。当時からインドの公立小学校は学費が要らず、教科書も無料で配られていました。しかし、教科書を売っているような教師がいたせいもあって、「子供を学校に通わせると学費がかかる」と思い込んでいる人も多かったのです。
(第2章 理系人材はこうして作られる インド人に「7月1日生まれ」が多い理由 より)

いまでも地方へ行けば外国人は珍しがられるし、いい加減さはたくさん見られるけれど、ここまでとは…。

 


わたしが親しくしてきたインド人の方々に共通する意外な点「見た目へのこだわり」は、この本を読むことですごくよく理解できました。

 現在のインド社会には、「チャンス次第で誰でも大金持ちになれる」という雰囲気が蔓延しています。ディルバイ・アンバニ氏やラクシュミ・ミッタル氏のように、ゼロからスタートして成功を掴んだ先人に影響を受けてのことです。
 インドでチャンスを掴もうとすれば、「何をするか」よりも「誰と付き合うか」が重要です。自分の力だけでビジネスを始めるのではなく、すでに成功している有力者とパートナーを組もうとする発想が強いのです。
(第4章 インドを動かす人々 金持ちぶりは「見せつけてナンボ」より)

 日本では、親は子供に「人を外見で判断してはならない」と教えます。しかし、インドの場合は、「見た目」はステータスと同じくらい重要です。何でも外見で判断され、時には命にまで関わってくるのです。
 インド人が洋服にとても気を遣うのも、そうした事情と関係しています。少しでもまともな服を着て、自分が立派な人間であることをアピールしようとするのです。それもまた、自分を守る手段でもあります。インドで粗末な服を着ていれば、他人から露骨に見下されてしまいます。嫌なことですが、それが現実なのです。
(第4章 インドを動かす人々 インド人も見た目が9割 より)

日本人は高価な持ち物を隠すようにしたり、見えても「さりげなく」を心がけるけれど、それをやると「なんで隠していたんだ」と言われる(笑)。オーガニックでナチュラルな暮らしと高価なステイタス・アイテムが共存するからいろいろ混乱する。

日本はいまは見下されるようになっているけど、日本人のメンタルはきっとずっと「さりげなく」を心がけるんじゃないかな。この著者が言うようにはできないんじゃないか。肌感としてそう思いながら読みました。

見せびらかしておいて盗まれたと言って怒っているのは、こちらとしてはわからない感覚です。

 

すごいインド: なぜグローバル人材が輩出するのか (新潮新書 585)

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