デリーのシュリー・オーロビンド・アシュラムで購入したテキストです。
▼以下のサイトで買うことができます(日本でも!)
exoticindiaart.com
vedicbooks.net
帰国してからの1ヵ月半、ここで購入したテキストと向き合うのがライフワークになっているのですが(めっきり付き合いが悪くてすみません)、なんせ英語なので亀の歩み。電子辞書を片手に、ゆっくり、気長に向き合っています。
はじめから「やばいこれ。表現ぐっとくる」と思って、でも当然「英語しんどい」というときもあり、それでも読んでいるとちょいちょいヨーガ用語が登場する。サンスクリット語もいっぱい登場する。読んでいるうちに、「英語を完璧に理解しながらすらすら読むことはできないけれど、ヨーガ用語はけっこうDB化されているうちこの脳みそ」は、「英語はわかるけれどヨーガ的な哲学に触れるのは初めて」という状態とトントンかも。と思うようになって、「読めるときだけ読めばいいさね」というスタンスで一緒に歩けるようになりました。英語の本だけど、日本語のヨーガの本と同じように、気負いなくつきあえています。読みながら、「ここは、著者さんの霊的翻訳機を通して素敵な説明をしてくれているんじゃないかな」というセンサーもそれなりにはたらく。あいかわらず、「運動神経的に」読んでます。
そんな本なので、記事としてはガチな勉強ログになります。
そして、この本の紹介を読みすすめるにあたっては、その歴史的・社会的背景も知っておいた方がいい。自分でもそう思って調べた内容なので、先に書いておきます。
●この本のFirst Edditionは1918年
●その頃のインドの状況ざっくり
・第1次世界大戦(1914〜1918年)9万人のインド兵士が戦死 インド門 (India Gate)に名前が刻まれている
・イギリス領インド帝国の状況は、Wikiより、以下のとおり
「イギリスはヒンドゥー、ムスリムの二大勢力が大同団結した自体を重く見て、1917年8月20日、エドウィン・サミュエル・モンタギュ(en)・インド担当国務大臣により、モンダギュ宣言が発表された。イギリスは植民地インドの即時独立を容認することはなく、全人的に自治権を拡大させる政策を採った。モンタギュとチェムズファド第14代副王(en、就任期間:1916年4月4日-1921年4月2日により、モンタギュ-チェムズファド改革(en)と呼ばれる改革を推進することで、インドの民族主義者の懐柔と同時に、1919年には、ローラット法が可決され反英主義者の弾圧も行う姿勢を見せるようになった。ローラット法が適用されて展開された悲劇がアムリトサルの虐殺である。」
・上記の「ローラット法」に反対する指導者として現れたのが「ガンジー」
●著者さんの状況(Wikiのオーロビンド・ゴーシュ より)
「ベンガルの行政区のコルカタで、裁判の公判中アリポール拘置所で1年間拘留された間、彼の政治から霊性への転換は起こった。拘留の間、ヒンドゥー教の重要な聖典の1つである『バガヴァッド・ギーター』について熟考し、その霊的影響を強く受けた。オーロビンドは、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学の当時の重要なインド哲学者であるヴィヴェーカーナンダに、自分の瞑想をみてもらうことを欲した。自身の霊性(ヨーガ)修行の重要な側面に際し手引きを受ける目的であった。」
「4年に及ぶポンディシェリでの集中したヨーガの修行を終えた1914年、64頁の月間レビュー誌『アーリヤ』の発行を開始する。」
「いくぶん後で、彼はインテグラル・ヨーガの実践のための一種の「指導書」として"The Mother"と題される小さな本を1928年に発表した。」
●主な登場人物の世代感
オーロビンド(著者):1872年8月15日 - 1950年12月5日
ヴィヴェーカーナンダ:1863年1月12日 - 1902年7月4日
岡倉天心:1863年2月14日 - 1913年9月2日
※岡倉天心さん自体は登場しないのですが、ヴィヴェーカーナンダさんのお友達ということで加えました。(この本に「Samurai」の精神が出てくるの)
本の中に、西洋人の考え方に触れる描写が多いので、やはり上記の背景は少しだけでも感じておいた方がよいと思います。この本は、以下の章に分かれています。
●The Ideal of the Karmayogin
●Karmayoga
●In Either Cause
●The Awakening Soul of India
●The Doctrine of Sacrifice(←今回はここまで)
●The Process of Evolution
●The Strength of Stillness
●The Three Purushas
●The Stress of the Hidden Spirit
●The Greatness of the Individual
●The Laws of Thought (by Sister Nivedita)
●A Daily Aspiration for the Nationalist (by Sister Nivedita)
以下の引用では、■が章タイトルです。
●この本は斜体(イタリック書体)での区別がなかったので、英和辞書では出てこないヨーガ用語やサンスクリット語は、うちこが識別できた範囲で斜体に変えておきます。
●インドものなので当たり前ですが、英語は「米」ではなく「英」スペルです。
●〜ライズ、〜ライゼーションの綴りが一貫して 〜lizationではなく 〜lisation です。そのままにしておきます。
ここからは、完全にうちこの運動神経での咀嚼です。サンスクリットは、この本と一緒に買ったほかのオーロビンドさん本の巻末にあった単語集を参考にしたほか、こちらのステキすぎる専門用語サイトの助けも借りています。
▼これヨガの勉強に便利だよー!
MiMi hu
ではでは、いきます。
■The Ideal of the Karmayogin
<11ページ>
Pranayam and Asans,concentration,worship,ceremonies,religions practice are not themselves Yoga but only a means toward Yoga.Nor is Yoga a difficult or dangerous path,it is safe and easy to all who take refuge with the Inner Guide and Teacher.All men are potentially capable of it,for there is no man who has not strength or faith or love developed or latent in his nature,and any one of these is a sufficient staff for the Yogin.
▼咀嚼メモ
みんなが、根底にヨガを秘めている。強さと、信じる力と、愛を。
ちなみにアーサナをアサンスと記述されています。(沖先生の古い書籍の記述と重なります)
(´・ω・`)ヨガというものはぁ〜 的な記述箇所。こう、みんなもともとはヨギ予備軍なんですよぉ、呼吸法とかアーサナ以前にね。というのがうちこも同感なところなので、ピックアップ。
■In Either Case
<15ページ>
Faith fights for God,while Knowledge waiting for fulfilment,and so long as the latter is withheld,the former is necessary.For without indomitable Faith or inspired Wisdom no great cause can conquer.
▼咀嚼メモ
くじけない心ありき。すべてはそこから。
(´・ω・`)ものすごい勢いでまとめちゃいましたが、こう、「いいからやれ」的な表現がツボなもので。
<16ページ>
Moreover,we have weaknesses that are still rampant and uncorrected in our midst.It is our first duty to purge these out of our hearts with a merciless surgery.If the intellectual equipment is deficient,the spiritual equipment is also far from perfect.Our leaders and our followers both require a deeper sadhana,a more direct communion with the Divine Guru and Captain of movement,an inward uplifting,a grander and more impetuous force behind thought and deed.It has been driven home to us by experience after experience,that not in the strength of a raw unmoralised Europian enthusiasm shall we conquer.Indians,it is the spirituality of India,the sadhana of India,tapasya,jnanam,shakti that must make us free and great.And these great things of the East are illrendered by their inferior English equivalents,discipline,philosophy,strength.Tapasya is more than discipline;it is the materialisation in ourselves by spiritual means of the divine energy creative,preservative and destructive.Jnanam is more than philosophy,it is the inspired and direct knowledge which comes of what our ancients called drishti,spiritual sight,.Shakti is more than strength,it is the universal energy which moves the stars,made individual.
▼咀嚼メモ
わたしたちのまんなかには、凶暴さという弱さがあります。それを浄化することが、まずはじめにやるべきこと。もし必要な知能も霊性もそろっていないなら、完全への道は遠くなってしまいます。リーダー、フォロワー双方がしっかりとした霊的修行を求めることで、神聖なる師との親交をも深めることができます。とにかく、経験・実行を重ねることがすべて。ヨーロピアンが熱狂しているような、抽象的なわけもない強さとは違うものです。インド人が霊的な努力の積み重ねによって得た力は、われわれを自由なものにします。
Tapasyaは単なる修行や稽古などという範囲のものではなくて、神聖な力や想像力を具現化する行ないです。Jnanamは単なる哲学ではなく、われわれが古来よりドリシュティと呼んでいる、まっすぐに必要なところへ向かう視点(という知恵)をもたらすものです。Shaktiは単なる力の強さではなく、星を動かすような、もっと全体性のあるものです。
▼単語メモ
sadhana:サンスクリット。霊的修行のこと
tapasya,jnanam,shakti:サンスクリット。霊的な努力や修行によって得た集中力とパワー、表面的ではなく根源的なところから湧いてくる力
drishti:サンスクリット。目線、視点。
(´・ω・`)スター・ウォーズっぽかったのでつい。
■The Awakening Soul of India
<21ページ>
The going forth of Vivekananda,marked out by the Master as the heroic soul destined to take the world between his two hands and change it,was the first visible sign to the world that India was awake not only to survive but conquer.Afterwards when the awakening was complete a section of the nationalist movement turned in imagination to a reconstruction of the recent pre-British past in all its details.This could not be.Inertia,the refusal to expand and alter,is what our philosophy calls tamas,and an excess of tamas tends to disintegration and disappearance.Aggression is necessary for self-preservation and when a force cases to conquer,it ceases to live ─ that which remains stationary and stands merely on the defensive,that which retires into and keeps within its own kot or base,as the now defunct Sandhya used graphically to put it,is doomed to defeat,diminution and final elimination from the living things of this world.Hinduism has always been pliable and aggressive;it has thrown itself on the attacking force,carried its potions,plundred its treasures,made its own everything of value it had and ended either in wholly annexing it or driving it out by rendering its further continuation in the country purposeless and therefore impossible.Whenever it has stood on the defensive,it has contracted within narrower limits and shown temporary signs of decay.
▼咀嚼メモ
ヴィヴェーカーナンダ師の功績は、世界に対して生き残るためだけではないインドの目覚めの獲得、その精神の提示にあると思います。昨今の英国による再編の影響の各事柄において。改革と発展をさまたげる、インド哲学のグナでいう「タマス」という不活発性は、崩壊へ進むことを後押ししてしまいがちな性質です。
生きていくためには、自らの強い意志を保つことが必要です。ただそこにそうしているだけの状態、避けているだけの状態は、死んでいるのと同然。ヒンドゥーイズムは、いつだってしなやかで、かつ力強いものであったはずです。攻撃にも、侵略にも、略奪にも、われわれが培ってきた価値あるものは、(・・・以降ちょっとわからず。でも、師匠がイギリスについて話すことの感覚で、なんとなくわかる)消極的な態度にあるとき、それは限られた範囲での契約によるあがき、衰弱を示すものでした。
▼単語メモ
Sandhya:サンスクリット。(今はわからず。今後わかるかも)
(´・ω・`)いままで「タマス」というのは体内の鈍性としてしか日常で意識しなかったのだけど、オーロビンドさんの本を読んでから、「なんか面倒くせぇなこの展開」と思う瞬間に「おっといけねぇ、タマスに引っ張られるところだった!」と思うようになっちゃった。心や気持ちの感覚を認識したり表わしたりするのに、グナの分類ってすごい! と毎日思います。
つづき
Once the soul of the nation was awake in religion,it was only a matter of time and opportunity for it to throw itself on all spiritual and intellectual activities in the national existence and take possession of them.The outburst of anti-Europian feeling which followed on the Partition gave the required opportunity.Anger,vindictiveness and antipathy are not in themselves laudable feelings,but God uses them for His purposes and brings good out of evil.They drove listlessness and apathy away and replaced them by energy and a powerful emotion;and that energy and emotion were seized upon by the national self and turned to the uses of the future.The anger against Europians,the vengeful turning upon their commerce and its productions,the antipathy to everything associated with them engendered a powerful stream of tendency turning away from the immediate Anglicised past,and the spirit which had already declared itself in our religious life entered in by this broad doorway into politics,and substituted a positive powerful yearning towards the national past,a still more mighty and dynamic yearning towards a truly national future.
▼咀嚼メモ
はじめ、国民の魂は宗教によって目覚めました。霊的な、知的な活動を含む国家の存在を投げ出してしまうことが、問題なのです。アンチ・ヨーロピアンによる暴動は、分裂をもたらしました。怒りと復習心に燃える人々は、彼らの中にその心があるのではなく、そこには神による意思が働いています。怒りと復習心に燃える人々がもともと持っていた無関心、無感動な感情を、国家の未来のためにはたらく力に置き換えたのです。英国人に対して怒る人々は、彼らの商業的な仕打ちや即座に英国識を強いる行ないに対し、発展するべき未来を望む積極的な精神を置き換える流れを生み出しました。
(´・ω・`)この辺の歴史と政治のニュアンスはつかみきれませんが、「無関心、無感動な感情を神が置き換えた」とか、こういうのはたくさん触れていくことでわかってくるものかと思いました。
<24ページ>
No Indian has of so strong an instinct for from as the Bengali.In addition to the innate Vedantism of all Indian races,he has an all-powerful impulse towards delicacy,grace and strength,and it is these qualities to which the new school of art has instinctively turned in its first inception.Unable to find a perfect model in the scanty relics of old Indian art,it was only natural that it should turn to Japan for help,for delicacy and grace are there triumphant.But Japan has not the secret of expressing the deepest soul in the object,it has not the aim.And the Bengali spirit means more than the union of delicacy,grace and strength;it has the lyrical mystic impulse;it has the passion for clarity and concreteness and as in our literature,so in our art we see these tendencies emerging ─ an emotion of beauty,a nameless sweetness and spirituality pervading the clear line and form.Here too it is the free spirit of the nation beginning to emancipate itself from the foreign limitations and shackles.
▼咀嚼メモ
すべてのインド人は、ベンガル人のように(って、それもインド人だけど、ひとまずスルー)強い気持ちを持っているはずです。加えてすべてのインド人(人種)にはヴェーダンタ哲学が根づいている。だから、細やかで、優雅かつ強い全方位型の高感覚を持っているはずなんです。それは、新たなアートの学びの場で本能的にはじめられています。
古代インドのアートの中にそれを完全に見出すことはできませんが、それは日本に伝えられた形でその繊細な感覚の形跡を見ることができます。(急にネタフリ来てびっくり)でも日本には、深遠な魂をモノで表現する繊細な手法の秘伝があったわけではありません。(落とされた! 笑。いや、泣)ベンガル人の精神は、もっと包括的かつ
繊細なもので、優美で強いものだ。それはとてもロマンチック(リリカル)で魅惑的な味わいを含んでいる。われわれの文学には〜 まあとにかくほめちぎり。もう言い表せないくらいすごいってね。われわれの国家の自由、開放においても、おなじことがいえるのです(と励ます)。
(´・ω・`)ここはもう勝手に解釈するしかないくらいよくわからなかったですけれども、「ああたしかにあなたたち、びっくりするくらい追求が深くて微細で、繊細ですよ。が、そこまで自慢する勢いが、わびざびの国のわしらにはちょっとわかりかねるのだ」という感じで読みました。
<31ページ>
Every act of the new Nationalism has been a call for suffering and self-sacrifice.Swadeshi was such a call,arbitration was such a call,national education was such a call,above all,passive resistance was such a call.None of these things can be secured expect by a general readiness to sacrifice the individual and the family to the interests of the nation.Nowadays a new call is visibly forming,the call on the higher classes to sacrifice their privileges and prejudices,as the Japanese Samurai did,for the raising up of the lower.
▼咀嚼メモ
新たな国家をつくるすべての行いは、自己犠牲の精神といわれてきました。スワデシ(聖師)もそのように、紛争の仲裁もそのように、教育も、力ない抵抗も、すべて自己犠牲の上にあると。それでは、なにも守られません。昨今明らかに形作られているのは、ハイクラスの人々ですらも特権を捧げることになることです。まるで日本のサムライが、身分が下のものとしてふるまったように。
(´・ω・`)この最後のほう、もっと理解したかったのだけどよくわからなかった。あと、日本の「サムライ」がどんなノリで認識されているのか気になりました。
前半はその歴史背景を鑑みながらこのテンションをつかむので精一杯。
でも、オーロビンドさんもヴィヴェたん&天心さん時代の人だと思うと、「高3トリオ」(だっけ?)とか、そんな時代のようにすごく豪華に感じられてきて、途中からはよくわからないインドの状況なども、難しく考えずにとにかく同化しちゃえ! という感覚で読みました。
うちこはベンガル語を話すカルカッタ出身のインド人のおっさん(つか師匠)とほぼ毎週話すので、イギリスへ旅行に行く人に「大英博物館へ行きなさい。インドの大切なもの、みんなあそこにあるからね! いいのだけ、持ってったね! ケッ」とか、リアクションしにくい展開の日常インド人マインドをなんとなく刷りこまれているので、今回の記述への追いつきはそれに助けられた気がします。
あと、途中で咀嚼解説を投げ出しているインド人の自国褒めちぎりフレーズは、これ普通にインドだと「あ、はじまった……」という感じでよくある展開です。(参考:インド人の旦那さんと暮らす日本人ミチコさんのブログを読むと、すごくリアルです)
このあとの後半は「で、ヨギならどのような心持ちで生きていくべきか」といった展開になってきます。まだサンスクリット語も少ししか出てこない、この章までを前半にしました。手を出してみたのはいいものの、ピックアップ転記のあとの再咀嚼のほうが大変だったよ! というシロモノなので、このシリーズはゆっくり、長期的に取り組みます。ゼイゼイ、ふうぅ〜(;´・д・)