今年いろいろなことにチャレンジしようとしてみたことの一つに「英語の勉強」がありました。
シュリー・オーロビンド・アシュラムでとてもよいテキストを手に入れることができたので、自身の勉強をかねて紹介をはじめたのはよいのですが、うちこの英語力では追いつくのが大変。結局1冊を紹介するのに5月からはじめて8ヶ月もかかってしまいました。(参考リンク:第一回目、第二回目)
「The Ideal of The Karmayogin」のなかからの紹介は、これで最終回。
今日ご紹介するのは「The Strength of Stillness」の章以降。この本の最終回の今回は、ヨギのみなさんに興味深く読んでいただける内容だと思います。呼吸についての解説から始まり、終盤になるほどギーターやウパニシャッドの解釈、精神を分解した説明に入っていく展開です。
「The Stress of the Hidden Spirit」の章以降は、もはや心理学、という領域。訳すのに難儀しましたが、オーロビンド師自身が「しっかり伝えたい」という意思を強く持っていたことが、この作業の中でビシビシ伝わってきました。
「The Strength of Stillness」の章より。
<39ページ>
The greatest exertions are made with the breath held in;the faster the breathing,the more the dissipation of energy.He who in action can cease from breathing, ─ naturally,spontaneously, ─ is the master of Prana,the energy that acts and creates throughout the universe.It is a common experience of the Yogin that when thought ceases,breathing ceases, ─ the entire kumbhak effected by the Hathayogin with infinite trouble and gigantic effort,establishes itself easily and happily, ─ but when thought begins again,the breath resumes its activity.But when the thought flows without the resumption of the inbreathing and outbreathing,then the Prana is truly conquered.This is law of Nature.
▼咀嚼メモ
偉大な活動は呼吸から生まれます。速い呼吸は、エネルギーを無駄に消費させてしまいます。自然な呼吸とともに行動できることは、プラーナの達人の技であり、万物を生み出すエネルギーそのもの。ハタヨギの修行のひとつに、呼吸を止めること〜完全なクンバク(クンバカ)〜があり、莫大な稽古と努力を要しますが、その効果もまた知られているものです。呼吸を始めると、また活動も再開されます。呼吸を続けることを抜きに流れについて考えるとき、それはプラーナを真に獲得したということです。これは自然の法則なのです。
(´・ω・`)内容自体はベーシックなハタヨガの教えなのだけど、「莫大な」という表現がgiganticだったり、このあと「which commands the harmony of life」という表現が出てきたりしていて、アキバ系ヨギにはかなり訳していて面白い部分でした。ギガ努力して、平和な生活のコマンドを手に入れるのだっ!(笑)。
<40ページ>
In this calm,right knowledge comes.The thoughts of men are a tangle of truth and falsehood,satyam and anrtam.True perception is marred and clouded by false perception,true judgment lamed by false judgment,true imagination distorted by false imagination,true memory deceived by false memory.The activity of the mind must cease,the chitta be purified,a silence fall upon the restlessness of Prakriti,then in that calm,in that voiceless stillness illumination comes upon the mind,error begins to fall away and,so long as desire does not stir again,clarity establishes itself in the higher stratum of the consciousness compelling peace and joy in the lower.Right knowledge becomes the infallible source of right action.
Yogah karmasu kausalam.
▼咀嚼メモ
呼吸による平安は、正しい知識をもたらしてくれます。人の思考には「真実」と「偽り」がからみあっています。真実の認知力は偽りの認知力に惑わされ、真実の決断は偽りの決断に不自由を強いられます。チッタ(心の基盤)は純粋でなければならず、プラクリティの不安は静寂の邪魔をします。雑念、雑音のない、心の照らされた状態を平安がもたらすとき、間違いは消滅へ向かうことができます。欲望によって再びかき回されることもなくなります。透明で明瞭な思考は、底辺では平和と喜びを確立しながら、意識の高い層に位置します。正しい知識が、正しい行動への絶対的な指針になります。
▼単語メモ
satyamとanrtam。サンスクリット。真実と偽り。
(´・ω・`)「陰陽愛」とでもいいましょうか。透明で明瞭であろうとするとき、「ポジティブ・コーティング」をしてはダメなのよ、ということをものすごく知的に説明してくださっている。「"前向きな思考をする人ってことにしたい"という欲望にもちゃんと光当てないとイカンよぉ〜」と言うのとはずいぶんと品位が違いますね。
このすごい分解解説をまとめて「ヨーガ、カルマス、コーサラーム」っていうみたい。ものすごい要約だね!
「The Three Purushas」の章より。
<43ページ>
The Upanishads do not deny the reality of the world but they identify it with Brahman who transcends it.He is the One without a
second;He is the All.If all is Brahman,then there can be nothing but Brahman,and therefore the existence of the all,sarvam idam,does not contradict the unity of Brahman,does not establish the reality of bheda,difference.It is one Intelligence looking at itself from a hundred view-points,each point conscious of and enjoying the existence of the others.
▼咀嚼メモ
ウパニシャッドの思想は、世界で起こることの現実性を否定しないものですが、世界はブラフマンによって認識され、ブラフマンは世界を超越するものだといいます。それは常に「すべて」であり「最上の」ところにあり、もしブラフマンが「すべて」であるのならば、「すべてがない」こともブラフマンであり、「存在すること」もまたブラフマンである、と語られます(sarvam idam)。「ある」と「ない」の統一性を否定するものではなく、ヴェーダの現実性を打ち立てるものでもありません。それは一つの物事を100の視点から見る知力で、それぞれの視点が別の視点からの知見を楽しんでいます。
(訳を進めるためにbhedaをヴェーダとしましたが、正しいかはわかりません)
(´・ω・`)出たよインド人のお家芸、といった定番のアレではあるのですが、最後の「each point conscious of and enjoying」ってところが好き。インド哲学のすごさは、ずばりこの「エンジョイ力」!。そしてとりあえず踊ってしまうのだ〜。
<45ページ>
These Three Purushas are described in the fifteenth chapter of Gita."There are two Purushas in the world,the aksara and the ksara,─ the ksara is all creatures,the aksara is called kutastha,the one on the summit.There is another Purusha,the highest(uttama),called also the Paramatma or Supreme spirit,who enter into the three words,(the words of susupti,svapna,jagrat,otherwise the causal,mental and physical planes of experience),and sustains them as their imperishable lord." And in the thirteenth chapter,while drawing the distinction between the lower Purusha and the higher,Sri Krishna defines more minutely the relations of God and the individual soul to Nature."Prakriti is the basic source of cause,effect and agency;the Purusha,of the sense of enjoyment of happiness and grief;for it is the soul in Nature(Purusha in Prakriti)that enjoys the threefold workings of things caused by Nature,(the play of conversation,creation and destruction;reception,reaction and resistance;illumination,misconception and obscuration;calm,work and inertia;all being different manifestations of three fundamental forces called the gunas of essential properties of Prakriti),and it is the attachment of the soul to the gunas that is the cause of birth in bodies good and evil.The highest Purusha in this body is the one who watches,who sanctions,who enjoys,who upholds,who is the mighty Lord and the Supreme Soul."
▼咀嚼メモ
3つのプルシャは(バガヴァット)ギーターの第15章に記述されています。
「世界に、まず2つのプルシャがありました。aksara と ksara です。ksaraはすべての生物、aksaraは"kutastha"と呼ばれ、その頂点にあるものでした。もうひとつのプルシャ(uttama)は "Paramatma"や最高の精神と呼ばれ、3つの言葉の中に入っていき("susupti" "svapna" "jagrat" もしくは コーサル・メンタル・フィジカルといわれる言葉です)、事物の不滅をもって、3つの言葉の意味するものを維持しました」。
この第15章には、低次のプルシャと高次のプルシャの識別についての記述があります。シュリ・クリシュナは細密に、神と自然に対する個々の精神について明示しています。「プラクリティはすべての因果のもととなるもので、影響しあうもの ─ 悲しみと喜びの感覚、自然の中に存在する魂(プラクリティのなかにあるプルシャ)です。それらの3つは自然に、折り重なるように機能します。(対話すること、創造と破壊。受け入れること、反応すること、反抗すること。明るく照らすこと、誤認すること、暗くすること。落ち着くこと、はたらくこと、不活発であること。3つの違った結果のあらわすものは、グナと呼ばれるプラクリティが持つ主要な基盤の力によるものである)魂にひもづく3つのグナは、肉体の誕生においてそれが良いものになるか、悪く反映されるかの因果になるものです。肉体のなかにある最高位のプルシャは、己を見るものであり、許すものであり、楽しむものであり、支えるものであり、最高の魂をめざす力ある道筋でもあります。
(´・ω・`)バガヴァット・ギーターのオーロビンド師解説なのですが、3つのグナの解説で登場するボキャブラリがすごい。見て、許して、楽しんで、支える。その矛先が、己。プルシャの説明で、これは過去最高グッときた。
<つづき>
The personality of the Supreme Soul is universal,not individual.Whatever is in all creatures,character,idea,imagination,experience,sensation,motion,is contained by Him as an object of spiritual enjoyment without limiting or determining Him.He is all things at once.Such a universality is necessary to support and supply individual existence.
▼咀嚼メモ
最高の魂の性質は全体性のあるものであって、なにかを限定するものではありません。すべての生物、性格、アイデア、想像、経験、感覚、動きに含まれ、制限を設けたりはしません。いつにおいても、「すべて」である。この全体性は、個体の存在を支えるのに欠かせないものです。
(´・ω・`)最後の2行、日本語にしてしまうとなんとも普通の文章なのだけど、ジョン・レノンの「愛こそすべて」よりも、インド人の「魂こそすべて」のほうが、うちこは好きです。
「The Stress of the Hidden Spirit」の章より。
<52ページ>
Therefore in all things the Hindu thinker sees the stress of the hidden spirit.We see it as Prajna,the universal Intelligence,conscious in things unconscious,active in things inert.The energy of Prajna is what the Europeans call Nature.The tree does not and cannot shape itself,the stress of the hidden Intelligence shapes it.He is in the seed of man and in that little particle of matter carries habit,character,types of emotion into the unborn child.Therefore heredity is true;but if Prajna were not concealed in the seed,heredity would be false,inexplicable,impossible.We see the same stress in the mind,heart,body of man.Because the hidden spirit urges himself on the body expresses the individuality of the man,the developing and conscious idea or varying type which is myself;therefore no two faces,no two expressions,no two thumb impressions even are entirely alike;every part of body in some way or other expresses the man.
▼咀嚼メモ
ヒンドゥーの考察者は、すべてのストレスの原因を潜在意識のなかに見いだします。われわれはそれを「智慧」として、一般的な知性や無意識の中の意識、不活発の中の活動のなかに見ます。「智慧」の力は、西洋人の言う「自然」。木は自分自身で自分を形作るのでなく、隠された知性の力がそれを形作ります。それは人間の「種」であり、習慣や生活を形作る「粒子」であり、胎児のもつ感情のようなものです。なので遺伝というのは本当にあることで、しかし、もし智慧が種の中に隠されていないのであれば、遺伝は間違いで、解釈のしようがないものになります。われわれは同じ力を、精神、ハート、身体の中に見ることができます。隠れた精神は、身体の成長や個性の形成のなかで促されるからです。進化するもの、意識する想念、変化していく型。それが自己。二つの顔をもつわけではなく、二つの発現をもつわけでもなく、二つの印象をもつわけでもなく、まったく一様のものなのです。身体のそれぞれの部分が、全力で人間を表現しているのです。
(´・ω・`)潜在意識とストレスのこと。「まったく一様のもの」に至るまでの解説は、ヨーガの世界ではこんなふうにされているんです、と、世の心理学者さんにちに教えたくなる流れ。
<53ページ>
This is the teaching of the Vedanta as we have it in its oldest from in the Upanishads. Adwaita,Vishishtadwaita,Dwaita are merely various ways of looking at the relations of the One to the Many,and none of them has the right to monopolise the name Vedanta. Adwaita is true,because the Many are only manifestations of the One. Vishishtadwaita is true because ideas are eternal and having manifested,must have manifested before and will manifest again,─ the Many are eternal in the One,only they are sometimes manifest and sometimes unmanifest. Dwaita is true,because although from one point of view the One and the Many are eternally and essentially the same,yet,from another,the idea in its manifestation is eternally different from the Intelligence in which it manifests. If Unity is eternal and unchangeable,duality is persistently recurrent.The Spitit is infinite,illimitable,eternal,and infinite,illimitable,eternal is its stress towards manifestation filling endless space with innumerable existence.
▼咀嚼メモ
古代ウパニシャッドにあるヴェーダンタの教えである一元論、制限不二一元論、二元論は、多と個の関係をさぐるそれぞれの方法であり、どれもヴェーダンタという名を独占するものではありません。
一元論は、真実です。「多」は「単(個)」の顕現だからです。
制限不二一元論も、真実です。着想は限りのない明白化されたもので、以前着想されたものの現われでもあり、また今後も現われるものでしょう。「多」は「単(個)」のなかにある永遠のものであり、ときどき現われたり、現われなかったりするのです。
二元論も、真実です。「多」も「単(個)」も、永続性や本質においては同じです。顕現されたものの中にどんな着想があるのかは、顕現されたものに含まれる「知」によって違ってきます。単一である個が永続的で不変のものであるならば、二元性は持続する再帰的なものです。
精神は無限であり、永遠なるもので、永遠は無数の存在で、無限のスペースを満たす顕現に向かった圧力です。
▼単語メモ
Adwaita:サンスクリット。一元論。
Dwaita:サンスクリット。二元論。
Vishishtadwaita:サンスクリット。制限不二一元説。
(´・ω・`)こんな風に学べるテキストはなかなかないので勉強になったし引き込まれもしたのですが、日本語に落とそうとすると、バカボンのパパみたいに「反対の視点のなかに賛成はあるのだ〜」みたいな感じで疲れます。
ちょっとここ訳すために洞窟へ行ってきてもよろしいでしょうか、という気分になるのだけど、OLと両立できない! せめて英語だけでももっと感覚的にわかればラクなんだろうな。
うちこはそんなにたくさんの人の英語本を読んだことがあるわけではないのと、読んだことはあっても岡倉天心さんのように、英語で書いている本人が日本人だったりする。なので、英語文から著者さんのキャラクターを読み取ることがまだできません。
でも初めてオーロビンド・ゴーシュさんの英語でのヨーガ解説に触れてみて、うちこなりに「説くこと」への「愛と根性」を学んだ。学ばせてもらう側の自分が「読み解く根性」を試されるようなプロセスが、とっても楽しかった。
やりはじめたら、日常の近くにあるリアル現代の学びと両立するにはギャップが大きくて「訳の続きをやりたいけれど、なんか今日は無理」という日も多かった。
英語を読み書きする文章の勉強は、少しずつ日々のジョギング距離をのばしていってフルマラソンを走ってみるのに似ているなぁと思いました。