本との出会いというのは不思議なもので。これは先週、「今日は買わないぞ、買わないんじゃないかな、まちょっと覚悟はしとけ」くらいの気持ちで道場へ行くまえ10分だけ時間があったので立ち寄った古本屋で手にとってしまいました。タイトルに「胆」があったのと、「これは誤植かい?」と思うような著者名が気になって。昨年出版された本です。
それまで、園田天光光さんという人を知りませんでした。なので、ざっとめくりながらキーワードをスキャンしたのですが、もういきなりズドーンというキーワードを見つけてしまいまして。このかたも、あのヨギのお弟子さんでした。
この本の冒頭は、以下の言葉から始まります。
わたくしは、過去の嫌な思い出とか失敗を、ウジウジと考えて、暗い思考の袋小路に入り込むことが好きではありません。たとえどんな結果であっても、気持ちを入れて、体を張って行動し、やるだけのことはやったという思いが持てれば、人生、後悔なんかしないで済む、と思っているからです。
ううむ。宇野千代さんと同じラインですが、こちらのほうが「ガッツ>ハイカラ」な香りがします。
最初に言っておきましょう。これは、「日本のあるヨギーニの自叙伝」です。そして、そのヨギーニは、ヨギーニでありながら、経歴上はこんな人です。
■1946年、戦後初の総選挙に当選。女性で初めての国会議員。
■議員仲間だが敵対党派におり、すでに結婚していた園田直と恋愛、結婚。(当時は不倫騒動として大スキャンダルになった)
■その後、夫の支援で裏方へまわる。
■夫の園田直の同期は田中角栄、中曽根康弘。
■ブルガリア大使夫人にもらった菌で育てたヨーグルトを日本に紹介し、ブームを起こし、ブルガリアから平和賞を授かる。
わくわくしますね。ふつうに「おんなの一生」的な読み方をしてもじゅうぶん刺激満載の本ではありますが、ここではいつものように、ヨギ目線でのピックアップをご紹介します。
<19ページ 怪物でいられるのは、胆力のおかげ より>
ゲーテは「思考と実行は、人の呼吸の如し」と言われたそうです。
胆力とは胆の力でもあり、これが出てくると、不安がなくなります。少々のことでは驚かなくなります。そして、直感が冴えてきて、人生がうまく運ぶような気がいたします。なにより、神仏とつながっているような、心強さを覚えるのです。
ゲーテって、こんなことを唱えていた人なんですね。吐くこと、実行からはじまる。ヨギだ!
<57ページ 流れに乗ってみるのも必要です より>
自分は、どんな仕事に向いているか、どんなことをやりたいのか、だれもが悩みますけれど、じつは、自分のやりたいことは、そうはっきりとわからないものですね。人生なんて、自分で決めているようで、じつは、大きな流れに乗って進んでいるものかもしれません。だから、何かの流れが来たとき、我を張らないで、それに流されてみることも、必要でしょう。
わたしはこれまでなんでもたいがい進路の選択は消去法で来たのですが、無理に決めようとしている過程の気持ち悪さに気づく能力というか、非客観ないびつさに気づく感度が大事なんじゃないかなと思います。
(これ系のコメントをした過去ログがけっこうありました「ログ1」「ログ2」「ログ3」)
<86ページ 男社会で女が生き抜くコツ より>
圧倒的男性理論の中で生き延びていくためには、女性である自分は、ここで何をしたいのか、なんのためにここにいるのかを、しっかり肝に銘じておかなければなりません。それが、何よりも、一個の人間として、誠実に行動することの原動力になるのです。わたくしにとって、その最大の武器が、胆力でした。
不況になって男社会マンセーな本性が隠せず、三国志大好きなDNAが沸き立ち、時代はロールバックしているように感じる。
<90ページ 信念を曲げると食いが残ります より>
政治の世界に限らず、ひとつのことに対して、自分の態度をはっきり決めなければならないことがあります。そういうときも、やはり、ひとり静かに身を潜め、胆の声を聞いて決断することが大切です。
上半身と下半身の対話ね。ちょっとわからなくなったときに、まずは濁りを分離するために逆立ちをする「あばれはっちゃく」師匠は、正しい!
<153ページ 本物の師を持ちましょう より>
主人は剣道をするのですが、あるとき剣道の師匠から「あなたには、もう何も教えるものもない。今度はひとつ、合気道を勉強してきなさい」と言われ、植芝盛平先生という、合気道の創始者をご紹介いただいたのです。それで早速、紹介状を持って植芝先生をお訪ねして「弟子にしてください」とお願いしたら、「弟子にはするが、その前に中村天風という人に会ってきなさい」と言われたのです。
それで、主人は中村先生をお訪ねしたんです。中村天風先生は、人間、本来の生命力を目覚めさせれば、驚くほどの可能性が開けるという、「積極哲学」で脚光を浴びていました。
先生をお訪ねして帰ってきた日に、主人が「おーい、やっと本物を見つけたぞ!」と玄関に入ってきたんです。「今日は本物に出会ったぞ。この人は、ほんとうに本物で、私たちの師匠になってくださる方だと思う。明日は、おまえも連れて行ってやろうな」ということで、その翌日、天風先生の講演会に連れて行ってもらったんです。それが昭和三十八(1963年)でした。
はい、でましたー。天風師匠、でましたー。即買いキーワードです。
<157ページ 中村天風先生の説く積極人生 より>
天風先生は、ヨーガも教えてくださるんですが、ふつうのヨーガとは、ちょっとちがう。いわば呼吸法なんですね。揺動法といって、しょっちゅう体を揺り動かしているんです。
瞑想する前に、まず目をつぶって体を動かす。それを一時間やってから瞑想に入る。そして心身を統一する。そうすると、おのずから自分の道が開けてくる。そういう、心身の健康法なんです。
(中略)
天風先生に出会ってからは、それに加え、毎日、朝起きると「今日一日、怒らず、恐れず、悲しまず、正直、親切、愉快に」という言葉を、自分自身に唱えるようになりました。天風先生の編み出された「力の章句」というのがあって、「私は力だ、力の結晶だ」と、自分自身に言うんです。自分の一日を、ちゃんと自分に言い聞かすんです。そうすると、ほんとうに力が湧いてくるような気がいたします。唱えることによって、自分自身の脳裏に、強いパワーが入ってくる。
とても実践しやすいメソッドに落とし込まれていたんですね。具体的な記述を読んだことがなかったのですが、沖先生にも影響したエッセンスが「力の章句」=「○○の誓い」であったり、興味深いです。
<171ページ 妻の腰が据わっとらん! より>
生き仏様の、あの霊力が一体どこから来るのか、また天風先生のおっしゃる生命エネルギーが、なんなのか、いまでもたしかなことはわかりませんが、本物の方がたからは、阿弥陀様のような、大きな慈愛のようなあたたかさを感じることは事実です。
これまで、わたくしは、戦争や病気で何度も死に損なってみてから、人間というのは、何か宇宙の意思のようなものによって生かされているんだなということを、ひしひしと感じるようになりました。庭の木を見て、この植物が育っていくのは、宇宙の、そのエネルギーによってだと、直感したんです。植物がこれだけエネルギーをいただけるんだから、人間だっていただけるわけだと。いままで、そのことに感謝したことがなかったと気づいて、それから、毎朝、宇宙のエネルギーで生かされていることに、感謝するようになりました。
人間同士も、エネルギー。摩擦エネルギーですね。がんばろ。
<181ページ ヨーグルトでブルガリアから平和賞 より>
(ブルガリア大使夫人から教わったヨーグルト作りをテレビで紹介し、大ブームを起こしたエピソードの後)
こうして、ブルガリア・ヨーグルトが日本に広まっていったのですが、あるとき、本国のブルガリアから、お呼びがかかった。ちょっとブルガリアへいらっしゃいという。何かと思って行ってみたら、じつは、あなたがいちばん先に、ブルガリア・ヨーグルトを日本へ紹介してくだすって、ブルガリアという国の名前も、日本国民に広めてくれた。あなたにヨーグルトの販売権を渡そうという話になっていたのだけれど、じつは明治乳業という会社が来られて、高額な権利金を出すというので、販売権を渡してしまったというんです。
(中略)
そんなわけで、気の毒ですが、あなたに販売権がなくなると、おっしゃるんです。わたくしは、売ることなんか全然考えていませんって申し上げた。ただ、ブルガリアの本国では、「このままでは、気の毒だから、勲章をあげましょう」ということになって、わたくしに、平和賞をいう勲章をくださることになったそうです。
素敵なエピソード。
<187ページ 腹式呼吸のすすめ より>
わたくしは、つくづく思います。謡によって腹式呼吸が身につき、丹田が鍛えられたこと。それで長い呼吸ができるようになり、気を下腹部に集めるコツが知らず知らずに身についていたんじゃないかと。おかげで、選挙のときの街頭演説でも、声が枯れずに出ました。演説のとき、話が聞きやすいとよく言われますが、これは、発声に間をとるからだと思います。謡は間が命です。その間が、自然と生活の中にも活きてくるのだと思います。
気を下腹部に集めるコツというのは、みんなどこかで触れる機会があるんですよね。これに、あとあと振り返って気づく人生になるかならないかで、老後が違ってくる気がします。
<196ページ 宗教心は礼に始まり礼に終わります より>
(高崎にある天狗山についてのエピソードの流れから)
お山には、当時、着物を着た男の先生がいらしたんです。その先生は、南無阿弥陀仏とか南無妙法蓮華経を唱えなさい、なんて言わないんですね。人間宗教心というのは、要は礼だ、礼節があればそれが宗教なんだ、とおっしゃる。真心が宗教なのであって、自分の信じている神仏が、南無妙法蓮華経だろうが、アーメンだろうが、なんだっていいと。
要は、山に登って、自分がやりたいことを叫びなさい。その人にとって、それがいいことであれば、自分の思いは叶うだろう。その人にとって、思いが叶わないときは、叶わないことが最善なんだと言うのです。
あるがままナリ。ですね。
<205ページ 修羅場を乗り切る胆の力 より>
わたくし、つくづく思うんですね。人生の修羅場に立たされたら、必ず、ひとり静かに、胆力をたくわえる時間を持ちなさいと。決してあわてふためいて、動き回ってはいけません。そして、静かに胆に力(パワー)が湧きあがるまで、座るんです。深く長い呼吸をして、体を整える。そうすると、頭にのぼった血が、ストンと腹に落ち、平常心が戻ってきます。普段の生活でも、平常心はとても大切ですが、修羅場のときほど、平常心になることが大切なんです。
どうせ動くなら、ひとりで動いて、座ったらいいですね。
<237ページ 偏見なく世間を見ることが人間理解の要 より>
そして、おしまいに、ほんの一つ、希いごとを語り置きます。ZEN(禅)が世界語になったように、TAN(胆)が世界語になるように……。世界から無意味な争いがなくなるために、TANの力(パワー)が役に立つことを願ってやみません。
これは最後の数行なのですが、素敵。
著者さんは
とってもチャーミングなかたです。
Wikiには政治家としての経歴しかないので、興味のある人は、この本を手にとってみることをおすすめします。
▼そんな園田天光光さんの師でもあった中村天風先生、関連ログ
・天風先生座談 宇野千代 著
・運命を拓く―天風瞑想録
・中村天風 絶対積極で生き抜く言葉
・ほんとうの心の力
・ヨーガに生きる―中村天風とカリアッパ師の歩み
・CD「積極性と人生」中村天風講和集