うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

タオ―老子 加島祥造 著

ヨガ友が貸してくれました。この本は、81章で構成される、老子の教えの訳。「英語訳の"老子"を元に、作者が共感したしたものを、頭で邪魔されずに再現しようとしたワーク」であると。各章の終わりに原文が記載されています。この著者による「老子」ですが、漢字が多少わかる日本人なら、その文字から受けるフィーリングを比べてみるのも面白い読み方だと思います。
この訳本は、前半が特にヨガ的です。後半はリーダーシップ論。たぶん後者のほうが、平積みのノリ的にはニーズがあるのでしょう。どっちにしても、お母さんにもお父さんもためになる、一家に一冊置きたい本です。
前半が特にヨガ的と書きましたが、老子が「ボーガナタル」さんというヨギであるという説があることと関連づけて言っているわけではありません。密教的でもありますし、自然の営みに真理を重ねた、金子みすゞさんの詩のようなところもある。そんな印象を受けました。

ちなみに「タオ」ということば周辺のことも、うちこは知らなかったんです。
あとがきより

「タオ」は「道」のことで、中国語では、dao または tao と表記される。この dao(ダオ)は日本語に入って道(ドウ)と発音され、道中、柔道、茶道などと使われている。ところで、英語で Tao と書かれるとそれは、「老子の教える道」と「道教」の意味だけに使われている。この Tao は独、仏、その他の諸国でも同じように使われて、Zen(禅)とともに、国際語になっている。私は「老子の道」を英語訳から知った者であり、それで、この仕事を「タオ──老子」とした。

ですって。神道を背景にもつことばの由来とはまた違った感動。


今回は、前半からの抜粋が多くなります。これは全文メモしておきたい、と思ったところは、全文です。81章のうちの、ほんの一部。ミラレパの詩と同じように、少しヨーガの心が弱まってしまったときにひっぱり出したい、大切にネットワーク上に保存しておきたい言葉ばかりです。
「道」という漢字は、本の中でタオというルビがふられていますが、われわれ日本人は、「道」と読んでもそれはそれで、身体に根付いた実感のある感覚で読めると思います。

<5ページ 第一章 道──名の無い領域 より抜粋>
ところで
名の有るものには欲がくっつく、そして
欲がくっつけば、ものの表面しか見えない。
無欲になって、はじめて
真のリアリティが見えてくる。


名の有る領域と
名の無い領域は、同じ源から出ている、
名が有るのと無いの違いがあるだけなんだ。

「名の有るものには欲がくっつく」。肝に銘じたい。

<13ページ 第四章 まず、空っぽから始まる より抜粋>
その働きは(その=道<タオ>)
鋭い刃をまるくする。
固くもつれたものをほぐし、
強い光をやわらげる。そして
舞いあがった塵を下におさめる──

タオ=ヨーガ でそのまんま置換できてしまう一文。

<15ページ 第五章 巨大なふいご より抜粋>
この天地の働きは
まるで巨大なふいごみたいなものでね。
なかは空っぽだけれど
ひとたび動きだすと、
数かぎりなく生みだして、尽きないんだ。


だから人だって、
ただ喋くっても限りがないと知って
黙って虚の中心を
大切にしたほうがいいんだ。

「ふいご」という言葉(道具の名詞)は、「ふいごの呼吸」をきっかけに知ったのだけど、ここでも「ふいご」登場。ぺちゃくちゃ無駄に喋るくらいなら、カパーラ・バーティしてるほうがいいもんなぁ。

<21ページ 第八章 水のように 全文>
タオの在り方にいちばん近いのは
天と地であり、
タオの働きにいちばん近いのは
木の働きなんだ。そして
タオの人がすばらしいのは
水のようだというところにある。
水ってのは
すべてのものを生かし、養う。
それでいて争わず、威張りもしない。
人の厭がる低いところへ、先にたって行く。
水はよほどタオの働きに
近いんだ。

タオの人は、自分のいる所を、いつも
善いところと思っている。
心は、深い淵のように静かだ。
つきあう人をみんな善い人だとし、
自分の言うことは
みんな信じてもらえると考え
社会にいても
タオの働きの善さを見失わない。
その人は、手出しをしないで
あらゆる人たちの能力を充分に発揮させ、
人々は
自分のいちばんいいタイミングで活動する。


これをひと口でまとめると
争うな、ということだ。
水のように、争わなければ、
誰からも非難をうけないじゃないか。

めちゃくちゃグッときたこれは、原文「上善如水」です。うちこは地元のお酒の名前としてしか知らなかった! もともと爽やかで白米に合う、とっても美味しいお酒だと思っていたけど、もっと好きになってしまいました。

<26ページ 第一〇章 玄にある深い力 より抜粋 玄=おく>
われら心と肉体を持つものは
ひとたびタオの道につながれば
身体と心は離れないようになる。
精気にみちて柔らかいさまは
生まれたての赤ん坊みたいだ。
その無邪気な心は
よく拭った鏡みたいに澄んでいる。

「身体と心を結ぶものが、タオ」といわれたら、それはそのままヨーガ。

<32ページ 第一二章 頭の欲でばかり追いかけないで より抜粋>
タオの働きにつながる人は
目の欲ばかりに従わないで
腹の足しになるものを取る。
頭の欲ばかりに駆られないで
身体の養分になるものを取る。
私たちの内には
虚のエナジー・ボックスがある、
と気づいてくれればいいんだ。
そうすれば、欲にとっつかれた時
そこからすっと離れる智慧
出てくるんだよ。

この章で使われる「腹の足し」という表現あたりから、「労働哲学」のような側面が色濃くなってきます。


<37ページ 第一四章 形のない形だけの在るところ より抜粋>
五感でなんか確かめられないものこそ
ほんとの実在なんだ。


微小すぎるものは
いくら見ようったって見えない。
あんまり幽かな音というのは
いくら聞こうったって聞こえない。
滑らかすぎる表面は
触わったってそれと感じない。
この三つの微のきわみは
微細であるだけに、互いに
融けあえる。そしてこの三つが一つに
融けあっている空間──
それは無か空に見えるけれども
充実したもの、
もっとすごい実在といえるわけだ。

このへんは、とても密教的なものを感じます。そして、「滑らかすぎる表面は 触わったってそれと感じない」というところがとても心に残りました。人のたたずまいとか、人あたりとか、そういったもののなかにヨーガの効果が現れてこそ、真のヨギであると言われているような気がします。


<92ページ 第三三章 「自分」のなかの富 全文>
世間の知識だけが絶対じゃあないんだ。
他人や社会を知ることなんて
薄っ暗い知識にすぎない。
自分を知ることこそ
ほんとの明るい智慧なんだ。


他人に勝つには
力ずくですむけれど
自分に勝つには
柔らかな強さが要る。


頑張り屋は外に向かってふんばって
富や名声を取ろうとするがね。
道につながる人は、
いまの自分に満足する、そして
それを本当の富とするんだ。


その時、君のセンターにあるのは
タオの普遍的エナジーであり、
このセンターの意識は、永遠に伝わってゆく。
それは君の肉体が死んでも
滅びないものなんだ。

ザ・実践哲学論、という印象を受けます。とてもヨーガ的な章です。

<114ページ 第四〇章 Returning ── 道の原理 全文>
道のなかを
最も深く貫いている動きは何かと言えば
returning なんだ。
re-turn ── 再び転じること。それは私が
反、復、回、周、還といった言葉で
幾度も語る動きだ、それは
大きく転じて戻ってゆく。そして
この動きは
弱いと言えるほどゆったりしている。
水のような柔らかな動きだ。
それは
どこへ戻ってゆくのかって?
あの非存在、名のない領域へだ。
あらゆる存在は確かに実在しているのだが、
いま「有る」存在はみな
「無い」のなかに戻ってゆく。
そしてそれはふたたび
「有」の存在のほうへ
「名のある領域」へ、反転してゆく。
だから道の動きは
深くて大きいと言うんだ。

「輪廻」ということばを想起する人が多いでしょう。後半の、いま「有る」などの表現には、インドの零(ゼロ)の概念を想起させられてしまう。


老子はヨギである、と思わずにはいられない。そんな印象を持ってしまいますよね。こういう諸説は、スピリチュアル・ゴシップ的に結びつけようと思えばいくらでも結びついてしまうのだと思うのですが、師と呼ばれる人々が「結びつける力」についていろいろな言葉で語っている。みんなその結びつきにはそれぞれの道から歩いていくのだけど、うちこにとってはたまたまそれがヨーガだったんだなぁ、と、教科書にも出てくる有名な老子さんに触れて、そんなふうに思いました。

タオ―老子 (ちくま文庫)
加島 祥造
筑摩書房
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おすすめ度の平均: 4.5
5 癒されます
5 消耗した心に水を注いでくれる
4 老子に興味のある人の一冊目に。口語訳のリズムがしっくりくれば、さらに良い本だったと思う。
5 争わない力
5 折に触れて読み返したい本