そうなのよ! これは、まじないなのよ! と心の中で1000人のわたしがスタンディング・オベーション。こんな切り口を待っていたのだと、どっぷり夢中になって読みながら気がつきました。
正直に言いましょう。わたしはヨガを “まじない” としてやっているところがあるのです。このマインドがいつの間にどのように醸成されていったのか。この本を読んだら約40年の謎が解けました。長かった〜。
わたしは雑誌『マイバースデイ』(実業之日本社)をリアルタイムで買って読んだことがないのですが、その存在はあこがれとともに知っていて、その思想がいつの間にかインストールされていました。なぜか。
学研の『Lemon』や『ピチレモン』を読んでいたからです。これだったか〜、と思いました。
いずれにしても、わたしが小学生の頃に雑誌のコンテンツから得た力は、こういうことです。この本の著者がわかりやすく整理してくださっていました。
こうした「占い/おまじない」は、学校生活で実行するものとして設定されることで、学校という空間を、精神的に成長を遂げるためのいわば修養の場として作り変える役割を果たしてきたと言える。
(第2章 「マイバースデイ」の「占い/おまじない」 より)
学校の席替えや班作り、クラス替えは、いまの感覚で言えば会社の組織変更みたいなもの。それをきっかけに処遇が変わったりいじめが起こることもある。それでも、どんな結果になっても前向きさを失わないために日々工夫が必要で、雑誌にあった「おまじない」をわたしもやっていました。
それは紅茶を飲むときに持ち手を指定の方向に向けて置き、なにかを唱えながらスプーンで○回かき混ぜて飲むとか、そんなレベルのものなのですが、小学生にはそんなことでも支えになる。
『マイバースデイ』の紙面で展開されている ”手作り” の推奨記事写真を見ていたら、これは未来の ”ていねいな暮らし” の予行演習? と思うような内容で、あれは『暮らしの手帖』の少女版だったのかと思うほどでした。
そしてこれは、この本を読まなければ意識しなかったことですが、大人(編集サイド)の役割やレギュレーションがうまく統制されています。
読者からの相談にマーク矢崎先生が回答をするコーナーでは、「中学校にみんなから嫌われている先生がいるので、遠くへ転任するようなおまじないを教えてほしい」という内容に対して、「マークはそんなわがままな黒魔術、教えられないな」と回答しています。この回答の文章はもっと長いのですが、この「教えられない」に至るまでの説法は、まるで叶姉妹のトークのようです。
当時はまさに読者の年齢(対象者)だったのでわからなかったけれど、子供向けのコンテンツ作成・運用のためには、大人たちがこのように思想を共有していないと、こうはいきません。
80年代を掘り下げる章では、自分が読者だった頃にそこがどんなコミュニケーションを生み出す場であったのか、大人の立場で見直すことができます。めちゃくちゃおもしろいです。
そして実業之日本社といえば、ヨガの本では内藤景代さんの本です。あのエディトリアルデザインの懐かしさのルーツはここであったか!!! と、何度も膝を打ちました。
━━と、ここまでは前半の感想(というか興奮の記録)です。今日は長いんです。もっと語らせて!
この本は後半がすごいんです。1995年に地下鉄サリン事件が起き、オウム真理教との比較で注目されるようになった「占い/おまじない」が「心理テスト」「ランキング」へと変わっていく、その流れを追っていきます。
端的にいうと、知識・情報という体裁へ変わっていく。ウェブメディアでよく見るライフハック記事もそうです。学校の中での立ち回りから範囲を広げ、より広く多数に好かれて立ち回りやすい日常を目指すようになった後期の『マイバースデイ』と実は変わらない。
同じような目的なのに情報の体裁が変化していく背景ついて、90年代から2000年代へと分析は進み、直近と感じる2015年の『an・an』『FRaU』まで出てきます。
終盤にあった以下の視点は、ヨガについて学べば確実にぶち当たるものとも関連が深く、鋭い視点です。
従来の伝統宗教は新宗教の多くは女性を男性よりも一段低いものと位置づけて、秩序立ててきた。そのうえで、特に家庭のなかでの「妻」「母」「娘」といった役割に即して、また子どもを産み育てる存在という観点に立って、女性としての生き方を示してきたのである。
このような伝統宗教や新宗教に対して、「占い/おまじない」は少女としての生き方を主題とした点で大きく異なっている。その意味で、一九八○年代以降に主に雑誌を舞台として展開された「占い/おまじない」は、日本で初めての女性のために生み出された「宗教」だったと言っても過言ではない。だが皮肉にも、それは既存の社会に批判的な立場をとるのでもなければ、既存の社会に変化を与えようとするのでもなく、むしろ目まぐるしく変化する現実に適応する指針として少女や女性に支持されてきたのだった。さらに、「少女らしさ」や「女性らしさ」と結びつくことで、旧来の社会に埋め込まれてきたジェンダーバイアスを一層強化するものでさえあった。
(最終章「占い/おまじない」と少女がつむぐ「世界」、そのゆくえ より)
この「だが皮肉にもー」以降、この本の末尾までに「そこな! それな!」ということが書かれています。
こうやって見てみると、「ミニマリスト」「ていねいな暮らし」は、変化に対応していくなかで指針として性別を問わず日常に取り入れやすい、最大公約数的な行法・まじないとも言える。
意思決定エネルギーを浪費しないために服は黒のタートルネックを着ると決めているスティーブ・ジョブズの習慣と境界線を引くのがむずかしいもので、結局は変化への対応の知恵。
ヨガのワークショップやイベントの提案を見ていると、もともとインドで男性たちによって開発されたものがどんどんアレンジされて、新しい概念を生み出しています。書店のヨガの棚へいくと、そこまで ”女性のもの” にできるのかと驚くような本もあります。
著者はもともとオウム真理教に強い関心があって、オウム真理教では「救済」の名のもとに暴力(テロ)にまで発展していったのに対して、なぜ同時代の「おまじない」はそういう方向へ行かなかったのかという点に注目し、この本をまとめられています。
題材の割には視点が冷静なので、なんでだろうと思っていたら、そういうわけなのでした。その15年以上のモヤモヤに、この一冊の本が多くのヒントをくれました。おもしろかったー!
男社会的にヨガをすると陽明学へ寄っていき(参考)、女社会的にヨガをするとマイバースデイへ寄っていく。わたしがずっと、漠然と「そっちへ進みすぎるとズレていくかも」と感じてきた謎のひとつがまた解明されました。