5月終盤から、しばらく忙しくしていました。
ほぼ毎週誰かと食事をし、語らうことをしていました。
「いつかランチでも」と言っていた「いつか」を「いま」にすることを、すごくやりました。
この2年半でいろいろなコミュニケーションのパターンを忘れていたので、この経験の繰り返しで、少し会話を思い出してきました。
わたしにとって、こう思えることは重要です。
社交など暇な人がやること、あるいは資本主義の奴隷、自分はのんびりした時間を愛しているのだという態度でいる人が爆発させる寂しみの変化形は、周囲をギョッとさせてしまうものだから。そしてそれは、誰にも指摘してもらえないから。
社会生活の中でそういう場面をたくさん見てきて、コロナ明けは要注意だぞと思っていました。
アルセストの沼に堕ちるなよと。
アルセストというのは、人名です。
▼この人です
ここ数週間、己のミザントロープ化を防ぐために、いやー。行った行った。食べた食べた。語った語った。よう喋った。もう一年分くらい喋った。
久しぶりに会った人と、もっと話すことがあるはずなのに、友近連続ライブ小説『黒蛙の美女』『おそかれはやかれ』の話を何度も蒸し返してしまい、「いいのだ。これはリハビリなのだから」と、会話の提案力のなさを再認識した。あそこが面白かった、というポイントを全部言いたくなる病気が発動してしまった。
わたしは大した話をできなかったけれど、ためになる話がたくさん聞けて、充実の夏を過ごした。
6月が暑すぎてもう夏が終わったくらいの疲労度なので、わたしの夏はもう過去形です。
また涼しい夜が少し戻ってきたので、本当の夏に備えてエネルギーを貯めます。