うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

すごーい、という音が出るときのこと

「すごーい ヽ(´∀`)ノ」
適切に褒める言葉を探す意欲がないとき、わたしはついこんな感じで言ってしまいます。
小さな子が作業ひとつひとつを「見て見てー!」と言ってきたときに似た反応で、大人に対しても時間稼ぎのように「すごーい」と言って、そのあと言葉を探す意欲がないことに気づく。そういうことがたまにあります。旅先や外出先で出会う、自分よりも年上のかたとのなにげない会話で起こりがちです。


これがかねてより憧れの、あるいはもともと存在を知っている尊敬すべき人物の前となると、状況はまるで変わります。面接でもそうです。途中に長母音が入るなんて失態。それ以前に、「すごい」などという雑な言いかたはしないように気をつけます。


さて。それはそれとして。
わたしは先人が伝授してくれたメソッドについて、そういうものはありがたく使えばいいじゃないと考えます。
なかでも「さすがー  知らなかったですー  すごーい  センスいいー  そうなんですねー」という、飲食を伴う接待業のプロによって開発された「女のさしすせそ」は最強のテンプレ。これがあながち失礼ではない場面がまだまだ多いのが令和の時代の日常です。
「いいねボタン」という便利なものが登場してもSNSをやらない人はたくさんいます。コンビニの前で、神社の境内で、リフレクソロジーの隣のブースで、あらゆる場所で自慢話は耳に入る。あっちでもこっちでも、好意的リアクションを求められる機会は減らない。「すごーい」はとても使える音で、もはやフレーズですらありません。
──と、わたしの場合はそんな具合だったのですが、先日友人と話しながらあることに気がつきました。こんな話になりました。

 


   英語の時は、もう少し使い分けるのにね

 


今年からわたしは海外に住む友人と話す機会が増えています。海外で会って第三者を交える場合は英語、そうでなければ日本語というふうに、言語を混ぜる場面を共有する人と話していると、置き換えることで見えてくる日本語感覚があります。
わたしが「すごーい」を wow や yeah くらいの意味で使っているのに対し、友人は excellent や awesome くらい価値のある場面で使うべきと考えており

 


 「そーやって反応するから相手が調子にのるんだよ!」(友人)

 「よくあるパターンだからこそ、テキトーに流す!」(わたし)

 


ということが起こります。
海外で日本人の年長者から旅の武勇伝を聞かされるのは、お約束のように毎回起こること。それぞれの経験から対応が割れます。
わたしはそういう場面では「人間との練習」と「バッティングセンター」のような会話を分ける癖があって、明らかに自慢話や武勇伝を語りたい "よく知らない人" の前では自動的にバッティングセンターの打席に立った状態になります。打っても走る想定がない会話で、球数が尽きたらバットを置いて帰る前提。ひとつ前の球をいちいち覚えていない。


英語のときはもう少しボキャブラリが豊かになるのに、日本語だとそれをしなくなるのも不思議です。
英語だと初対面の人との会話でも
amaging, cool, nice, so fun, that's good, that's great 、多少は分けて返そうとする。
なのに日本語話者の自慢話を前にすると、全部「すごーい」になる。これは、「かわいー」の現象と似ているかもしれません。

 

 

 それ以上言わなくてすむ感じだと助かりまーす

 

 

という意向を含めた「すごーい」。これはこれで利便性から進化した言葉のひとつのかたち。合理化であり省エネです。お人よしに見えようがバカに見えようが、いまそこは重要じゃない。
英語でも自慢話が続けば really, wow に省力化されていくけれど、わたしにとって「すごーい」はそういうときに出す「音」になっています。

 

さて。
わたしはここ最近「んまー!」「あらそう!」などが音として自然に出るようになってきました。そのうちすべて「まー!」に収斂されていくのでしょう。
そう。この「まー!」の稚魚的ポジションに「すごーい」があったのです。これはすごい発見です。口で言う「すごーい」と文章で書く「すごい」は全く別モノで永遠に交わることがないくらい差がある。


言われる側は「すごーい」で褒められたと感じられる子ども的気分と、バカにしてんのか!という気分があると思うのですが、バカにしてんのか!と怒って口にするほどの人には滅多に出会いません。だいたいは笑いながらバカにしてんのか! とか、聞く気ないでしょ! となります。相手に「すごーい」と言わせているという自己認識がゼロではない人がほとんどです。

さらに掘り下げると、わたしが「自慢話を聞かされた」と思うときも内容は大げさな報告や自己紹介であることが多く、わたし自身のなかで「自慢話」として認識を強めに書き換えています。フォントに色を付けてボールドにする感覚で、さくっと決めつけている。

関わりたくなくても話を聞く、基本的にあるべき謙虚さが欠けている自分の状態を正当化したくて、とっさにそういうことにしている。これはこれでなかなか evil です。

こうやって何周もしながら、「さしすせそって、すごい…」と先人の知恵に唸っています。

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