少し前に読んだ『運動脳』で、かつてアメリカで大ヒットしたというこの本の存在を知りました。
著者のアンデシュ・ハンセン氏はうつ症状に対して、海外ではプロザックなどの処方がビッグ・ビジネスになりすぎていて、運動を勧めてもそこにスポットを当てるメリットがないためスルーされる、という主張をされていました。
その流れが気になり、本文中で紹介されていたこの本を読みました。
読みはじめたらグイグイ引き込まれる内容で、久しぶりに読書に没頭しました。
この本は自伝的な内容で、クリスティーナ・リッチ主演で映画化もされています。
原題は『Prozac Nation』。日本では『私は「うつ依存症」の女』というタイトルで2001年に講談社から出版されています。著者の意図に沿うタイトルを翻訳者が考えたようで、実際、「うつ症状」を「うつ依存症」に悪化させるまでのプロセスがリアルに書かれています。
この本のエピローグで著者はこう語っています。
不幸な気分の解決策を考えるとき、決まってプロザックやゾロフト、パクシルといった抗うつ剤に行きつくところが問題なのだ。うつ病という精神病は薬で治療するべきだろう。しかし没価値状況(アノミー)、疎外感、不快感、手の施しようのない社会を忌み嫌う気持ちなどは、抗うつ剤が解決するものではない。
(抗うつ剤で解決できないこと より)
1993年のアメリカの状況に警笛を鳴らすコメントをされています。
もう少し後の状況も、日経ビジネスオンライン(2015年4月15日掲載)で知ることができました。
米国で処方されている抗うつ剤にはプロザック、セレクサ、パキシル、ゾロフト(いずれも商品名)などがある。特にプロザックは88年に認可されて以来ハッピードラッグと呼ばれるほど「人気」がある。うつ症状が和らぐとの評判から、認可から10年ほどの間に1000万人が服用した。
こうした抗うつ剤は医学的には「選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)」と呼ばれている。神経伝達物質であるセロトニンの脳内濃度を高めてうつ症状を改善させる作用があり、多幸感をもたらす。ただ下痢、疲労、体重の増減、発疹、頭痛、神経痛などの副作用があるし、自殺を誘発するという報告もある。
プロザックは日本では厚生労働省未承認らしいです。もし承認されていたら、この本も映画もすごくヒットしただろうな。
著者は1967年生まれで、表紙がご本人。キュートな女優さんのような人。
精確かつキレのある知的な比喩のオンパレードで、異様な魅力に満ちた文章を書きます。(表紙が本人であることに後で気がつきました)
最初からあまりに面白く、プロフィールも見ずにどんどん読み進めていたら、途中で「はああ?!」となりました。
たぶんハーバードに失望した結果なのかもしれない。私は高校時代、ただただハーバードに入学するために勉強し、学校新聞や文芸誌を編集し、ダンスクラスを取って一生懸命やってきた。
(「エクスタシー女神」と呼ばれて より)
レポートさえ書けば、まだ希望は残っていると、自分に言い聞かせた。勉強をやめたら、きっと自殺に追い込まれる。勉強は私が最後の最後のところでしがみついているものだった。
精神的問題で学校を休んでも、戻る家庭がある子どもたちもいる。傷を癒してくれる何らかの場所を持っている。でも私にはハーバードで築いてきた見せかけの生活しかない。それはなんとしても失えない。なんとしてでも勉強を続けなくてはいけない。
(パニック発作を起こす より)
あんなにラリってたのにハーバード合格してるの!? となりました。
読みながら何度かフィギュア・スケート選手のトーニャ・ハーディングを想起しました。
自分の居場所を作るために必死な、頑張り屋さんのアスリートがどんどん鬱の波に呑まれていく。
父母の諍いが病的で、母親と一緒に住みながら父親に数時間会うために毎週1時間車に乗って出かけることに疲れ、離婚の際には両親それぞれの弁護士に頼まれる証言・手紙を書くなどの催促に悩まされ、恋愛に依存的に逃げたりしながら、勉強もしていたことが少しずつわかってきます。
このお母さんがなかなかな人で、娘が夏休みに家で休みたがっているのに無理やりサマー・キャンプへ行かせ、バスが出発するときに母娘で腕を組んだ写真を他の人に撮らせるような、完璧な家庭を演じたい人。
Instagramがあってもなくても、こういうのは昔からあるんですよね。
そして後半は、「こりゃあ大ヒットするわ・・・」と唸らずにいられないほど上手な回想・まとめが展開されています。
当時の医療やメンタルの問題に対する常識の間違いが、まるで親しい友人の話を聞くようにスルスル入ってきます。
現代の心理療法の問題点は、人がどう感じているかを伝えることができれば、ほとんどの問題は解決できると考えられている点だ。私の家庭は、誰もが取るに足らない苦情をためらわずに吐き出す家庭で、まるで戦場のようだった。
(愛してくれる誰かをじっと待つ より)
ステアリング先生は、セラピーを開始したときから、私の感情の揺れや行動は「不定型性うつ病」の症状に当てはまると考えていたそうだ。だが、精神分析医はどの抗うつ剤を投与するかを決めてはじめて、どのタイプのうつ病かの診断を下し、患者に伝えることができる。
プロザックの服用を決めてはじめて、私は診断を受けたのだった。薬の開発が病気の診断をもたらすとは、確かに非論理的な経路とも思えるが、後から分かったことだが、精神病の分野では決して稀なことではないという。物質つまり医薬品が、症状の経過を決定するという、まさしくマルクス主義的精神薬理学と言えるかもしれない。
(プロザックという新薬 より)
セラピーの誤った考え方は、新しい発見を重ねれば、あるとき人生は根底から変わり、人間も変わるはずだ、というものだ。現実はそんなに甘くない。日々の生活で、自分自身と自分の行動の意味について地道に考え、その都度新しい結論を引き出していくのが、現実の人生だ。
(自殺願望がまだあるとは!? より)
カウンセリングやセラピー、治療のシステムに鋭いツッコミを入れまくっています。
自分の場合はメラリルという薬からプロザックへ移行したのが回復につながったけれど、自分がうつ状態に依存しているという客観視のプロセスを経たことが重要だったと後で振り返っています。
インテリ美女の長い長い中二病。自身の当時のメンタルの記述がユニークです。
人生に過剰反応して生きることは、ものごとを適当に受け流して生きている無関心な大衆に迎合するよりも、ずっと純粋で正直なようにも思えた。
だが、すべてのものごとに過剰反応しつづければ、最後は感情が麻痺してしまう。すべてを同じデシベルで捉えるということは、キッチンのカウンターを這うゴキブリの死も、父親の死と同じように悲劇的に感じることだ。
(中略)
自分の私生活を他人事(ひとごと)のように、ときには場違いにハイになり饒舌に話す私を友だちは気に入っているのだと勘違いしていた。しかし後に分かったことだが、ほとんどの友人が、人格的に問題があるなと思っていた、と話してくれた。
(うつ病を捨てることが怖かった!? より)
「すべてを同じデシベルで捉えるということは~」の喩えのようなおもしろい記述が3ページに1回くらいのペースで登場します。
心の内部の状況説明がうまく、どんどん読まされます。ユーモアのセンスも含めて、気が利きすぎて頭が良すぎて、なんていうのこういうのは。時代の寵児?
ポップでキュートな横山やすしみたいな人だな、と思いながら読みました。