先日、トルストイの小説『イワン・イリイチの死』を題材にした日本映画『生きる』を観ました。
光文社文庫の巻末解説を読んで、この映画との関係性を知りました。
切ったり加えたり膨らませたり置き換えたり
トルストイの原作と黒澤監督の映画は、以下の部分だけが同じです。
- 主人公が堅い公的な組織で働いている
- 意識を『生』に向かわせるきっかけとなる、若者との交流がある
- 葬式の場面がある
それ以外のところは家族構成から変えていて、トルストイの描写するイワンよりも黒澤監督が見せる渡辺さんのほうが、まあ、いい人といえば、いい人。妻との精神の駆け引きがなく、「組織人」であったことに焦点があてられています。
めちゃくちゃ性格が悪かったイワンが最後の最後に反省して死んだけどやり残しがあって、それで転生して最後の数ヶ月だけやり直したのが日本の渡辺さん、というふうに見えました。
これからの楽しみ
ここ数年、原作があるものを映画化した作品を観るのが楽しみになっています。
全く違う話になっているのに登場人物個人の見せる葛藤が同じだと、こんなに設定を変えても変わらないものができるんだ・・・ と、その書き換え能力に驚きます。
これはうまいなぁ、という組み合わせを見つけるとうれしくなります。
原作通りだけど切り抜き方やオチのアレンジが好きな作品もあるし(『流れる』とか『清作の妻』とか『晩菊』とか!)、『砂の女』のように小説の世界を芸術的に映像化できてしまったこと自体に感動するものもあります。
あと10年くらいの間に、若者サイドでも高齢サイドでもないこの時期に、よい作品を観ておきたいと思っています。
余談:映画日記をtheradsに書いています。